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僕がそうしたいからするのだ
ちょっと空いちゃった。山は越えた、ハズだ。

「赤ちゃん時代の思い出」という写真の課題をなんとなくやってるんだけど。
記憶を呼び起こすきっかけが欲しくて、実家に帰った時にアルバムを掘り返していた。
特に、建てなおす前の家が見たかった。死んだじいさんばあさんと、犬と一緒に小4まで住んでた家。
そのアルバムには僕が生まれるまえの写真がいっぱいいっぱいあった。

僕がこの世界に影も形も存在してない時から、当たり前に時間は流れていて
もしかしたら僕なんていなくても、このまま幸せな家族写真が続くような気がしたんだ。
だけど、時間の経過順に作られたこのアルバムに、やがて僕が生まれた写真が出てきてさ。
その写真は僕が想像していたよりも祝福されてる写真だったんだ。

幼児虐待とかにあってた訳ではないんだけどさ。日常や時間に隠されて忘れてたのかもしれない。
この僕もちゃんと祝福されて生まれてきてて、みんなを笑顔にしていた。みたいだ。
僕も生まれてきてよかったんだと。

そして、今ではすごくいがみ合ってる僕の両親だが、昔の写真を見ると子どもの写真以上に母親の写真が多い
撮ってるのはもちろん親父だ。やれ離婚するだの、しないだの。そんなやりとりを10年ぐらい続けてて
その度に子どもたち(僕たち)に心配をかけている両親だけど、なんかたぶん大丈夫だんだろうなって思った。
根拠なんてないけど、たぶん大丈夫なんだろう。いや実際、その度に呼び出されるのもかなり迷惑だけどね。

やっぱり写真ってプリントしないとダメなんだって思った。
デジカメで撮ってデータとして眠っているものに価値なんて無いかもしれない。言い過ぎか。

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「おとうさんが撮った写真」 「tumblr」「THE END」「Trinograph.」「Facebook」「twitter」「Flickr」
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