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สุขสันต์วันเกิด
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「村上春樹 / 村上さんのところ」

「1Q84」を読んでいて、長い物語にすこし疲れた時に、口直し的に読んでいた。
口直しのつもりだったけど、この書物はやばい。止まらない。ずっと読んじゃうのだ。「少年カフカ」の時もそうだった。
村上春樹が3万7465通のメールを全て読み、3716通の回答をした。そのうちの473通を抜粋したもの。
僕はその473通の質問と回答を読むだけで大変だった。それなりに時間がかかってしまった。書く方はもっと大変。

軽いものから重いもの、深刻なものからくだらないものまである質問に対して、村上春樹が独自の視点で返答してる。
その回答がいちいち面白い。自分の中にある引出が多いんだろうな。。そうゆうものは歳をとって経験を重ねるうちにある程度は増えると思う。
だけどこの人の引出の多さには脱帽する。それでいて芯というか、僕はこうなんだからしょうがない。みたいなものもハッキリみえる。
そして言葉が下品じゃない、これ大事。良いか悪いかはおいといて、僕はやっぱりこうゆう人間に憧れてしまうのだ。

好きだった言葉、いっぱいあったけどすごく長くなるので、一部抜粋します。
回答のみの抜粋なので、内容が通じるようにちょっと変えたりしています。

■子どもがいないからといって、人生を生きるという作業のクオリティーがそれで左右されるということはありません。作業の方向性が少し変わるだけです。
■でもただ待っているだけではだめです。世の中に出ていきましょう。傷つくのがいやで内に閉じこもっていると、なかなかそこから抜け出せなくなります。傷つくことを恐れないように。
■意味はようわからんけど、なんかおもろいし、読んだあと腹にたまるんや。というのが僕の考える小説の理想のかたちです。大事なことは固定の中にではなく、推移の中にあります。
■もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないかと思います。
■「おまえは創作者になりたいのか、それとも評論家になりたいのか、どっちなんだ?」と自分に問いかけることです。そうすると「どれだけこっぴどく批判されても、何もつくり出さずに批判だけする側に回るよりは、何かをつくりだして批判される側に回る方が、まだいいよな」と思いました。
■身銭を切るって大事ですよね。他人のお金を使っていては、何も身につきません。本当に大事なことは多くの場合、痛みと引き替えにしか手に入りません。
■普通はきちんと時間に従って生きていく。でも、何か都合が悪くなったら、「おれ、猫だからじかんのことなんてわかんねえ。過去も未来もねえや。なるようになるさ、にゃあ」みたいに適当にはぐらかして、開き直って生きていく。これしかないですよ。
■「若いんだからまだまだやり直せるよ」というのは「まあよくわかんねえけど、適当にやれや」というのと同じことです。自分のことは自分で考えて、自分で判断し、自分で責任をとっていくしかありあません。
■「私にはこの小説は理解できない」と思っている人には意外に理解できている、というのが村上の小説のあり方です。読んでいて「おもしろい」と思ったら、それはある意味、根幹を理解できているということなんです。
■言葉で表せないことって少なからずあるんです。実際に。また言葉で表してしまうと、いちばん大事ななにかが失われてしまうということもあります。
■賞をひとつもらったくらいで、生き方や書き方のスタイルが変わってるようじゃ、小説家をやっている意味なんてなにもありゃしません。
■「無条件に愛することができるもの」は与えられるのではなく、自分で見いだしていくものです。与えられなかったことを嘆いているだけでは、人間として進歩がありません。
■「***の良さがわからない人間は駄目だ」みたいな言い切りの言説にはお互い十分気を付けましょう。僕の小説だってそうです。好きな人がいて、好きじゃない人がいて、それで世界がうまくまだらに回っているんです。画一性くらい怖いものはありません。
■身銭を切って、そこで初めて得られるものがあります。あなたも若いうちにどんどん身銭を切られると良いと思います。そして内的な資本を貯めてください。痛い目にあわされても、それが滋養になります。しっかりと生きていれば、知らないうちに自分の中に「自分力」が溜まっていきます。
■いつ自分が夜の海に一人で放り出されるかもしれないという、孤独の予感みたいなものを男はいつも抱いています。
■言葉をおろそかにするものは、必ずその報いを受けます。汚らしい言葉を使う人は、ますます汚らしくなっていきます。
■僕は個人的には、自分の心の痛みと、まわりの人々の心の痛みとを、等価ととまではいかずとも、ある程度密接に連動させて考えられるようになることが、大人の証ではないかと考えています。
■たとえ不幸せになったって、人に嫌われたって、本を読まない人生よりは本を読む人生の方がずっと良いです。そんなの当たり前の話ではないですか。
■大事なのは、わかったとかわからないとかじゃなくて、それが身体に沁みるかどうかということじゃないかなと。わかったかわからないか、それもよくわからないけど、十年たってもなんかよく覚えている、という小説を僕としては書きたいです。
■恋というのはただ単にすとんと落ちる物です。落ちたらおしまいです。得も損もありません。危険も安全もありません。
■まず形式があるのではなく、まず中身があります。なにより大事なのは、その中身作りに全力を傾注することであり、妥協をしないことです。
■自分にしっかり勝つことができれば、他人にも勝てます。というか、勝ち負けなんてほとんど気にならなくなります。実はそれがいちばん大事なことなんです。
■言葉が古くなっても、表現が古くなっても、事情がかわっても、人の考えが変わっても、それは普遍のオリジナルとして、永遠の定点として存在します。それが芸術というものです。
■人は多かれ少なかれみんな病んでいます。意識を抱え、二本足で立って生きるという作業自体が、基本的に病んでいるのです。
■現実というのは無数の要素が寄り集まった、混沌としたものです。いろんな要素が複雑に絡み合っています。でもそのような混沌を自分の力で支えることのできない人たちが、「陰謀」というわかりやすいフレームを導入して、「これですっきりした」とという気持ちになりたいのです。そのように安易で簡単なフレームは、僕が言うところの「悪しき物語」です。ヒトラーが「今の世の中が悪いのはすべてユダヤ人の陰謀のせいだ」と主張したのと同じことです。だからユダヤ人を抹殺しちゃえば、世界はもっと良くなるんだと。とてもわかりやすいけれどとても危険です。
■あなたの言う、むきだしの暴力(※在日批判のヘイトスピーチ)が公衆の面前で堂々とおこなわれるというのは、一人の人間として本当に恥ずかしい、情けないことです。特定の国籍や、宗教を一律に口汚く非難するのは社会行為として明らかに不適切です。いちばんの問題は、愛よりは憎悪の方が、理性よりは怒りの方が簡単に言語化できることです。ポジティブなことよりは、ネガティブなことの方が人の心に直接的に訴えかけやすいことです。そしてインスタントな説得力を持ちます。たとえばナチの反ユダヤ・キャンペーンを「まあ、あんなのは口で言ってるだけで、本気じゃないだろう」と思って見過ごしていた人々が、後日大きな悲劇に見舞われることになりました。何よりも怖いのは社会が品位を失っていって、それが既製の事実として人々に受け入れられていくことです。
■気持ちよく生きて、美しいものだけを見ていても、感受性は身につかないということです。世界は痛みで満ちていますし、矛盾で満ちています。にもかかわらずきみはそこに、何か美しいもの、正しいものを見いだしたいと思う。そのためには、きみは痛みに満ちた現実の世界をくぐり抜けなくてはなりません。その痛みを我が身にひりひりと引き受けなければなりません。そこから感受性は生まれます。No pain, No gain.ということです。

いろいろしみる。

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The End_1598 渋谷 / PENTAX67

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