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らせん階段、直下の怪
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「ルビー・スパークス」

ツタヤでプッシュしてたのと「500日のサマー」のスタッフ製作ってのに押されてみてみた。

作品がヒットして天才作家と持ち上げられていたカルヴィン。しかし現在は二作目の難しさにより激しいスランプに陥っていた。カルヴィンはそんな状況を打破しようと、自分の理想の女の子像として「ルビー・スパークス」の物語を書き始める。その物語の執筆に没頭していくカルヴィンの前に、自分が空想として作り上げていた女の子が現れる。その女の子は、自分が小説に書いたことがそのまま反映される、不思議な女の子だった。

そらそんなに期待してみるような映画ではないことは分かって借りた。
たまには恋愛映画もいいかなというのと、3本借りたら1200円で、5本借りたら1000円という
嬉しいような苦しいようなツタヤの料金システムに押されてみたのだ。
結果、それなりにみれたけどやっぱりそれなりな映画でした。たぶん1年後にはみたことをを忘れているでしょう。

一言でいってしまおう。タイプライターで書いたとおりに物事が起こる。
そしてその人物の性格や記憶まで思い通りに変えることができてしまう。。それって。
「ジョジョ四部の岸部露伴のスタンド能力、ヘブンズドアーやんけ!」
という突っ込みしかない。それ以上もそれ以下でもない。そんな感想しか持てなかった。

しいていえば、そんな設定の話は今までに腐るほどある。
そしてこうゆうのは、我らが藤子・F・不二雄先生に任せておけばよいのだ。
そもそもこの内容を100分の映画にする必要はまったくない気もする。
世にも奇妙な物語枠で十分なのだ。世にも奇妙な物語の方が良いのだ。

そしてそして「500日のサマー」との大きな違い。それだけで評価が大きく左右すること。
「ヒロインの女の子がタイプじゃない!」これは男子の僕としてはとても重要なファクターです。
「500日のサマー」のズーイー・デシャネルはよかった。みてる方が恋をした。それだけで良いのだ。そもそもあれだってたいした話ではない。
J・G=レビットも良かった。やさ男感、勇気のでない感じ、振り回されてる感、とても共感した。でも今作にはその共感がなかった。

最後、ネタバレしますが、人を自分で思いのまま操作することの虚しさに気づいた主人公は
自分で文章を打ち、彼女を解放し、記憶も消す。それは自分の心に風穴を開ける行為だったが、彼は決断できた。
後日、記憶を失った彼女に再会して物語は終わるけど、このことに関しては少し羨ましいとおもってしまった。
誰にでも女の子にフラれた時、もう一度戻ってやり直せたら、、と考えたことはあるでしょう!

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The End_1105 向河原 / Nikon D610

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