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あじさいのひかり
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「岩井俊二 / リリィ・シュシュのすべて」

目黒シネマで岩井俊二特集をやっているのを知っていますか?
金曜日までは「リリィ・シュシュのすべて」と「スワロウテイル」の二本立てを上映してた。
ということで岩井俊二も二本立ても大好きな僕なので、いってみてきた。
ちなみに6月28日からは二週連続で、なんと三本立て!きっと行くんだろうけど、大丈夫かな、僕。

カリスマ的なアーティスト「リリィ・シュシュ」のファンである中学二年生の雄一。クラスメイトにいじめを受けている彼は、自らが管理人としてリリィのファンサイト「リリフィリア」を主宰していた。そこでで知り合った「青猫」という人物と交わされるチャットだけが、彼の心の支えになっていた。雄一をいじめている星野という男子学生は、もともとは剣道部の仲間で仲が良い二人だった。しかし夏休みに仲間と出かけた沖縄旅行をきっかけに星野は突然豹変する。

映画の設定である13~14歳、いわゆる中学二年。多かれ少なかれ皆この映画と同じような経験をしたのではないか。
少なくともこの映画をみていて素直に感じるのは「あぁ、あの時、こんな感じだった。そうだった」という気持ち。
当時の中学校教育という、今考えると理不尽極まりないものや、人間関係のドロドロさ、いじめ。そして男と女。
肉体的にも精神的にも急激に成長して、いろいろわかってきてなにがなんだかわからないカオスな時期。

一言いうとこの物語はとても不快な映画です。自然と眉間にしわを寄せながらみてるシーンは多い。嫌悪感は満載。
でもみいっちゃう、ひかれちゃう。なぜか?感情移入するから。映像が美しいから。物語の展開に飽きがこないから。
いろいろあると思うけど、たぶん「現実に救いなどない」という確固たる事実を突きつけられるから。たぶん。
皆気付いてるのに触れない方が良さそうなもの。それに少し触れてるから、みてる人の心が動くんです。たぶん。

そのくらいこの物語は絶望的。直接的な表現じゃなく、こうゆう絶望感を実感できる事はあまりない。映画だと多いかも。
その直接的な表現じゃないというのがミソで、現実はどこかしれっとしてて当たり前に流れ、皆少しずつ絶望している。
R・チャンドラーの小説で「さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ」という言葉と同じようなそうでないような。
この映画はそのしれっとした感じが出てて、星野も蒼井優(役名忘れた)もその後の説明はない。しれっと日常は流れる。

音楽にすがる雄一の姿は当時の自分とかぶるものがあった。僕が思春期の時、ある種の心の支えを音楽に求めていた。
今とは絶対的に音楽の聴き方は違かったと思う。あの頃は音楽と空と多摩川があればそれでよかった。はず。
あの頃と現代では人間関係もいじめの種類も違う気はするし、音楽も文化としてのあり方の根幹から違う感じがする。
とか言うと随分歳をとった感じになるけどさ。あの理不尽な権力みたいなものは、いまでもあるのかい?

別に都会だから地方だからどう、という意味ではないけれど、山形出身のフジ暴はこの映画を「地方的」だと言ってた。
この映画の舞台は栃木県。佐野とか。どちらも僕が育った川崎より物も情報も少なかったはず。そうゆう意味で地方の方が
思春期特有のよくわからないフラストレーションは方向を失い、理不尽な暴力やいじめに繋がりやすいのかもしれない。
しかし全部過ぎた後では「そうゆう時期だ」という一言で片付けられてしまうものかもしれない。良くも悪くも。

人によってはそうゆう時期を青春と呼んでいたりするけれど、タフになれず脱落していく人もいる。
一生の傷になる人もいるだろう。自殺する人もいるんだろう。残酷で、理不尽で、陰鬱な時期だけど、
人生において一番、世界が光り輝いてみえる時期でもある。と思うのは過ぎた後、思い返して美化されてそう思うのか。
僕は運良くその時期を乗り越えることができた。だけど、その時の記憶が甦る、そんな物語。また何年後かにみたいな。

僕はこの映画に出てる伊藤歩という女優さんが好きで、今でもスクリーンでみると嬉しさを覚える。
蒼井優もこの頃はすごく好きです。この映画に限って言えば蒼井優の存在はすごく大きいと思う。
実は僕、作中に出てくるあの鉄塔も、わざわざ佐野までみにいったくらいです。もちろん田んぼも。
今の時期はきれいなんだろうな。またみにいきたい。

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The End_942 井の頭公園 / Nikon F3

「THE END PHOTO」「PHOTO ARCHIVE」「Trinograph. INTERIOR」「Facebook」
■■■ | Comment : 4 | Trackback : 0
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Comment

とりの

2014/05/30 16:40 ・・・EDIT

  それ、おなじようなことを相方がいっていたよ。相方は山形出身なんだけど、新しい音楽や洋服を知りに、電車に乗り仙台までいかないとなにもない。だけど、ないということが欲求を生み、欲し、想像力が増すのでは。現代では便利に、すぐ情報が手に入る。仙台までいかなくてもYouTubeで見れる、聴ける、そして無料。便利は便利だけど、その情報は脳みそのしわにすり込まれるのかい?と思ってしまう。何事も自分の目でみて
肌で感じないといけないのかもしれないね。話はまったくずれたが。笑

kpita

2014/05/30 14:35 ・・・EDIT

  自分の整理のために書きます。
正解がないことだから、書きます。
多分、ぼくらの子供時代と大きな違いは、都会ではそう大きくないのかもしれない。もしくは、そう感じないにくいのかもしれません。でも、田舎ではみるみる風景はそのままに、むしろ後退しながら都市化した子どもたちなのです。なんでしょう。うまく言えないけど、僕らには遠かった都会が、今の子供達にはぐっと近いのです。そこに僕はもったいなさを感じます。本題とずれましたね。でも、少しすっきり。

とりの

2014/05/30 09:40 ・・・EDIT

  けいたくん、いまみるとまた印象違うよ。「今は昔よりも物に溢れてるから」と子どもの時にいわれてたけど、甥っ子とかみてると、やっぱりおなじこといわれてて。コミュニケーションツールとかは違うのは確かだけど、本質の部分はあんまりかわらないんんじゃないかと思ってるよ。だからこそ僕ら大人がもっと遊んで、はちゃめちゃに楽しんでる姿をみせたいと思ってます。

kpita

2014/05/28 11:25 ・・・EDIT

  久しぶりに、見返してみたくなったよ。
やっぱり、思春期には絶対的な不確かな存在に絶望して、右往左往の自己嫌悪の先に、少しずつでも振り幅が小さくなってくるんだよね。
今の思春期の子たちはきっと、目の前の情報量や目に見えるものがあまりに多すぎて約束されない未来への想像力やそれを解決していくプロセスを実践することが少ないように思うよ。年寄りのいう「最近の若い奴は的な」発言ではなく、僕ら世代がもっとおもしろいことを不確かな未来を作り上げる姿を見せなくてならないだと思っています。僕も一生中学生です、たぶん。
話がずれたけど、最近、友人と飲んでいてこんな話が出たので、言葉にしたかっただけです。


 

 

 

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