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コール・ハー・ネーム
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「村上春樹 / 村上朝日堂 はいほー!」

永遠の仔。下巻を着々と読み進めていますがいかんせん内容も質量も重いので自宅にいるとき専用にしています。
普段持ち歩く荷物の中に本がないと落ち着かないので、簡単でお気楽な本を忍ばせて、平行して読んでました。
それが村上春樹のエッセイ。永遠の仔はやっぱりどこまでも重いので、極体にあるものの方が良いかなと思って。
エッセイだから長編にくらべ軽いけど、書いてあることは薄っぺらくない。軽く読めるのに読み応えがある。素晴らしい。

もうあえて言わなくても伝わっているだろうと思いますが、僕は村上春樹が大好きで、大ファンだ。
しかし最近思うんだけど、前と読み方が変わって来てる風に思う。前はどっぷりと長い時間村上春樹の世界に浸っていた。
そしてそうゆう時期はなにか損なった気持ちを抱え、人間らしく生きていけないような期間になっていた。
その時期が終わると「しばらくはもういい」という気持ちになり新刊とかが出ない限り彼の作品に触れることはなかった。

それが最近はちょいちょい彼の作品を読み、また読み返し、文章を楽しんでいる。
楽しんでいる?本当かよ?と自問自答してしまうけど、どこか軽い気持ちで楽しんで読んでいる。
それは短編やエッセイに限らず、それなりな長編でもそうみたい。「それなり」というのは
さすがに「ねじ巻鳥クロニクル」は軽い気持ちでは読めないので。。

このエッセイは1989年に刊行されたわりと古いエッセイ。
時代背景なんて現代とはまったく違うはずなのに、なにも不自然に感じずに読める。
彼のエッセイを読んでいると、だいたいそんな感想を持つけど、あらためて考えるとそれってすごい普遍的!
センスなんだろうな。大作家捕まえて言うことではないですが、本当にすごいと思う。

エッセイの中で「青春と呼ばれる心的状況の終わりについて」というのが割と冒頭にある。
仕事関係での食事で初めて会った女性。その人は昔好きだった女性に外見も雰囲気も笑い方まで同じだった。
その人にその旨を伝えた時に、口説き文句だと取られとても完結した笑い方で流された。
その時に彼の中の何かが失われてしまったという、その話がすごく好きでなんども読み返してしまった。

以下引用ー
僕が大事に守ってきたのは正確にいえば彼女ではなく、彼女の記憶だったのだ。彼女に付随した僕のある心的状況だったのだ。ある時期のある状況しか与えることのできない、ある種の心的状況。それがあっけなく消えてしまったのだ。彼女とのその短い会話によって、一瞬にして。そしてそれが消えてしまったのと同時に、おそらく青春とでもいう名で呼ばれるべき漠然とした心的状況も終わってしまった。僕はそれを認識することができた。僕はそれまでとは違う世界に立っていた。そしてこう思った。物事の終わりというのはどうしていつも、こうあっけなくささやかなんだろうと。

本当にこの人と同じ時代を生きれて嬉しく思う。
永遠の仔はもうすぐ読破できそう。しかし長い!

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The End_873 南千住 / Nikon F3

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