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失語症、アモルファス、PSE法
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「ポール・セロー / ワールズ・エンド(世界の果て)」

めっきり読書量が減った。理由は自転車通勤に変えて電車に乗る機会がほとんどなくなったから。だと思う。
南は横浜、北は練馬くらいまでなら全て自転車。こないだ仕事で横須賀に行く時、久しぶりに電車に乗った。
音漏れ満載のイヤホンや、スメル、人との距離感、気の使いよう。もうお金を払って乗る意味がわからん。
完全に電車嫌いになってもうた。読書量が減るのはいかんけど、また読書熱はあがると思う。今は映画な気分なだけ。

で村上春樹あとに読んだ本、1Q84再読しようか悩んだけどやめた。翻訳は村上春樹なので一応つながりはあり。
9編からなる短編集で村上春樹の名前と、タイトルが気に入って読もうと思った本。ジャケ買いみたいなものだ。
村上春樹の短編にも言えることなんだけど、はっきりとした意味でのオチは薄い。まだある方かもだけど薄い。
だから普通に考えれば退屈な小説だと思います。そして僕にとってはすごく好きな小説になった。

表題作の「ワールズ・エンド」はアメリカの家を引き払いロンドンに移住した男の話。
「コルシカ島の冒険」はフランス旅行中のフランス文学者の話。他の話も「外国」ってのが共通してる。
異国で感じる疎外感。孤独感。被害妄想。知らなくても良いことを知ってしまった時の絶望感。
最後にどんでんがえし的なものもあるけど「わっ!」という返しではなく、静かに、ゆっくり返す感じでした。

、、この小説にはあんまり関係がいことなんだけど。読んでてなんとなく考えてた事。
オチも薄くなにが言いたいのか直接的に伝わって来ない作品を、一般的に「退屈な作品」というのかもしれない。
それが本当に凡庸な作品なのか、裏の意味や暗喩を受け取れていない、読む側の能力の問題なのかは分からない。
退屈さが好きという僕みたいな人間もいれば、理解をしてる人もいる、そしてクソだと吐き捨てる人もいる。

単純に好き嫌いの話なんだけど、村上春樹の短編なんてほとんどオチもなく、読む人が読めば「はっ!?」となると思う。
短編に限らず彼の作品は長編でも曖昧な部分、結論がない部分、難解な部分がいっぱいで理解できない部分は多いはず。
個人的には素直に読後の喪失感や虚脱感が好きだけど「ちゃんと理解してる?」と問われると自信ない。
でも新刊がでればワクワクするし、何回も繰り返し読む小説ってそんなに多くない。あくまで個人的な話。

だけど、そうゆう難解でさしあたって分かりやすいオチもなくて、曖昧で、なにが言いたいのかよく分からない作品でも
僕を含めてあれだけファンがいて、新作だせばバカ売れして、同じくらい批判もあって、一種のフィーバーが起こる。
僕はそれをみていて、なんだかこの世もまだまだ捨てたものじゃないなあ。と思うのです。なにか上から目線気味ですが。
だってそうゆう曖昧なものでも、皆なにかを感じたいと欲してるのだ。形じゃないものにお金を払い感じたいと思ってる。

別に村上春樹である必要はなーんにもないんだけど、それはすごく素晴らしい事だと思ってて。
見えなくて、形じゃないものに対する価値が一般的にちゃんとある事が素晴らしいと思うのです。
なんだみんなちゃんとロマンチストなんじゃん。と少し安心するのだ。逆にこうゆう時代だから欲するのかしら?
なんにしても良いこと。読書は人間の基盤になることだし、読書量が減っている僕が言えることではないけど。

なんか言いたいことうまく言えなくてモヤモヤする。
でもこれはもしかした文化につながる大事な事かもしれない。
小説だけに限らず、映画、音楽、写真、はたまたデザインや社会や人生までも!
ああ文才が欲しい。もうちっと考えてみようと思う。今日は一日雨みたいだし。

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