DATE:2013/07/31(Wed) 13:56 No.1249

「桐島、部活やめるってよ」
すごく話題になってたので、早く観たいとは思ってた。
でも映画館で観るまででも、新作DVDで観るまででもないかな。といった感じだった。
そんでこないだツタヤで準新作100円フェアやってたのでこれを機に。最近待ちきれなくて早く観たい映画って少ない。
もともと古い映画好きだからいいんだけど、映画館に足が向かないのは何ともよくない気がする。
タイトル通り「桐島」が部活をやめるって話から物語は始まる。そんな噂が広まった金曜日の一日を、登場人物全員の視点で何度も流していくパターン。こっちから見たらあれだけど、こっちから見たらこう。的なあれ。桐島の彼女。桐島の親友とその彼女。帰宅部の彼とバトミントン部の女。吹奏楽部の部長は屋上に。映画部は撮影の準備。「桐島不在」という事がきっかけで色々な人間の本音が絡み合う。
みんな感想で言ってるけど、僕もこの映画をみて「高校生の時ってこうだった、そうだった」というシーンが多かった。
部活終わりの暗くなった校庭。夕焼けと、空に消える白い息。あの頃は無意味に空を眺める時間が多かった。
付き合ってた女の子と待ち合わせして帰る。お互いジャージで、ちょっと座って話してから帰るとか。。笑
そんな事思い出した。。。あ、それ中学の時の記憶だ。ぼく高校は帰宅部だった。バイト部か。家帰って音楽聴く部か。
僕の高校はイジメとかなかったと思うけど、派閥というか、目に見えないヒエラルキーはあった。と思う。
その上の方に入れないとダサい。的な空気があって、団体行動にもなにかステイタスがあった。と思う。
僕はどっちだったのかな。友達は数える程しか居なかったし、一人でいる事は多かった。一匹狼的なかっこいい事でなく
どちらかとゆうとそうゆう上のグループに憧れはあったと思う。でもそこに入れるほどの社交性はその頃からゼロだった。
映画でもそんな派閥があって、その派閥のなかにもまたヒエラルキーは存在し、仲よさそうに見えて変な空気。
大人になると「社会的」とか「モラル」とかというもので、言葉にしないほうがいいと判断し、発言を抑制をする。
子どもの頃はその派閥にいたい為に、もしくは仲良くしてもらう為に言葉にしなかったりするんだろうか。
そのステイタスの為に発言を抑制する。そしてヒエラルキーはもっと確立する。あわよくば、いじめになる。
この映画はそんな言葉にしづらい事が表現されてる。わかりやすいオチもなければ、シンプルなメッセージもない。
でも、なんだかんだどの世界でも階級やなにか決められていてしょうがない事が多い。という事を言っている映画かな。
そして、それでも僕たちはこの世界で生きていかなければならない。という事か。現実はそんな劇的でないという事も。
桐嶋はそんな少しだけどうかしてる世界が嫌だったんだよ。そして置いてかれた人たちは急に不安になるのだ。茶番だ。
映画に出てくる色んなタイプの人間。自分をどのタイプの人間において観るかによって印象が変わる映画です。
僕は誰に当てはまってたのかな。。成績もパッとしない。スポーツも特に。学校終わったらバイトか音楽を聴く日々。
そんな奴出てこなかった。僕のような存在は物語にもならないってことか。確かに中途半端な人間なのは今でもだ。
直木賞作家、朝井リョウさん。なんか話題ですね。本読んでみようかな。

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