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神経質なサンセベリア
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「村上春樹 / 1973年のピンボール」

「風の歌を聴け」に続く「僕と鼠シリーズ」の第2作目。

前作から3年後「僕」は大学を卒業して友人と小さな翻訳事務所を営んでいた。いつのまにか双子の女の子と共に生活していた僕の家に、ある男が古くなった配電盤を交換しにやってきた。その男は新しい配電盤を付けただけで、古い配電盤を置いて言ってしまう。いっぽう街に残った「鼠」は小説を書きながらジェイズ・バーに通い「女」と出会う。
前作がすごく断片的なシーンの積み重ねだったんだけど、この小説は前に比べ少し物語になっている。

「僕と鼠」のエピソードが順番で語られるんだけど、「僕と鼠」の物語がこの小説では一度も交わらない。
「僕」が双子の女の子と配電盤のお葬式をしてるかたわらで(←この時の貯水池の表現がすごく好きだった)
「鼠」は女と出会い、離れ、そして街を出ることを決心する。。ラストの霊園の林の中は
映画「Biutiful」の冒頭のシーンを思い出したよ。あんなに雪降ってないだろうけど。

ドーナツショップになってしまったジェイズ・バーにかつて置いてあったピンボール台
「スペースシップ」を探す事になる「僕」は紆余曲折あって、ピンボールとの再会を果たす。
その時の情景はもう自分がその場所に居るかのような臨場感だった。喚起力と言うのかな。
冷たさや寒さが伝わってきた。アフターダークでもそんな感覚を覚えたことを思い出した。

「僕」の時間を止めてしまったものについての説明は、最後までとくに語られなかった。
「僕」は僕自身の時間は進められなかった。しかし「僕」の外側の世界では時間が当たり前に流れている。
だから「僕」も時計を進めなければならない気がするんだ。この疎外感や孤独感。すごく共感した。
こうゆうところが青春三部作って言われるゆえんなんだろうな。

所々で気になる「直子」の存在はノルウェイの森を彷彿させたり、井戸の表現(処女作から出てた)は
ねじ巻き鳥クロニクルをどうしてもイメージしてしまう。井戸は村上氏の原風景なのかな。。
以下引用、、、「僕は井戸が好きだ。井戸を見るたびに石を放り込んでみる。小石が深い井戸の水面を打つ音ほど心の安まるものはない」

。。でこの後「羊をめぐる冒険」に入るんだけど、もうこれがもうすごく良くてダメ。
いま心えぐられ中です。はやく読み進めたい。

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The End_616 渋谷 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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