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慈しみにちかい喜び
今日は僕の人生において、とても重要な人の生まれた日です。
毎年言っていますが、これはおそらく来年も10年後も言っていると思います。
あわよくば、来世でも。たんじょうびおめでとう。

GOOD LUCK!

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The End_1604 Happy Birthday / Nikon F3

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均衡そのものが善なのだ
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「村上春樹 / 1Q84 BOOK3」

さあ「1Q84」のまとめを書きます。僕が村上春樹フリークなのは改めて言う必要がないと思いますが
そんな僕にもまだ長編で読んだことがないものがあった。それがこの「1Q84 BOOK3」です。
もちろんBOOK2からの続きの話なんだけど、前にも書いた通り「とりあえずはBOOK2で終わりの物語」と思って読んだので
BOOK3を読み始める時は、新作を読み出すような新鮮な気持ちがありました。これはとても嬉しかったです。

BOOK2からの続きなのでどうやっても、なにを書いてもネタバレになってしまいます。なので未読の方は読まないでね。※あらすじはBOOK1のコピペです。1984年の東京。スポーツジムのインストラクターをしている青豆は、タクシーで都心に向かう首都高速の上で渋滞に巻き込まれた。タクシーの車内にはヤナーチェックの「シンフォニエッタ」が流れていた。時間に遅れることができない青豆は、タクシーの運転手に促され、首都高速の避難階段を降りることにした。運転手は「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」と言った。予備校の数学教師をしている天吾は、かたわらで小説も書いており新人賞に応募していた。そこで知り合った編集者、小松に見込まれて「ふかえり」という17歳の少女が書いた「空気さなぎ」という小説の書き直しをしないかと持ちかけられる。天吾は迷いながらも興味を持ち、ふかえりに会うことにする。

なぜ僕がBOOK3を読んでなかったかというと、BOOK3が出た頃に「これはBOOK4も出るのでは?」という噂があった。
それならBOOK4が出たときに最初から読み直そうかな、と思って温存しておいた。複雑で長い物語だからそう何度も読み返せないし。
しかしBOOK3を読み終えた今、率直に思う事は「この物語は完全に終わっている」でした。全て納まっている。BOOK4の臭いなんてしなかった。
これに続編としてのBOOK4があるとするならば、それは後日談のようなものにしかならないんじゃないかな?と思ったけど、どうなんだろう。

前に「ねじ巻き鳥クロニクル」に出てきた牛河のことを書いた。ねじまき鳥の時もだったけど、今回もしれっと出てこなくなると思ってた。
だけどいざBOOK3の目次をみると、いままで「青豆」と「天吾」の章に分かれていたものに加え「牛河」の章なるものが増えていた。
正直ドキドキした。まだあの気持ち悪いグヘヘな牛河が出てくるのか、と。そしてやはりかなり気持ち悪いうえに、すごく重要な人物になっています。
ある意味で、犯人を捜す探偵みたいな役どころになるんだけど、こんなに正義感がまったくない探偵も珍しい。笑。

主役級になっている牛河は、悪側に雇われた人間。今までの村上春樹作品だと主人公が「なんか得体の知れないもの」に追われることはよくあった。
だけどこんなに追う側にスポットがあたることがあったか?そして牛河の行動はとても驚異で、青豆、天吾、牛河の輪がどんどん小さくなっていく。
それと牛河の過去や生い立ちがすごく語られていて、感情移入してしまう。牛河ってすごく優秀な人なんだな。外見で人を判断してはいけないのだ。
思う所があって「ねじ巻き鳥クロニクル」をまたパラパラ読みともなく読んでみた。そしたらねじ巻き鳥の時代設定も前半は1984年だった。

いつもクールでタフな青豆さんは、たまにタガが外れたように泣いたりしていたけど、BOOK3でも結構な感じで崩れていた。
しかも青豆さんは処女ではないけど、処女懐胎のようなものをする。しかもしかもそれは天吾の子どもなのだ。
性行為どころか、出会ってすらないのに愛する人の精子を受胎したことが理屈抜きで分かる。遺伝子が伝えているのだ。ロマンチックだな。
この処女懐胎は天吾が神の子とって意味なのかな。天吾が神でその子が神の子?神童と呼ばれてた天吾ってのもなんかあるのかな。わからん。

青豆の潜伏先に突如やってくるNHK(エネーチケー)の集金人がいるんだけど、これが個人的にはかなりの恐怖ポイントでした。
最初これは牛河だと思ってたけど、その後牛河の所にも来てた謎キャラ。オートロックのマンションなのに玄関まできてノックしてくる。
ノックは大きく10〜20回続き、まわりの住民に聞こえるように支払いを乞う。これは一人暮らしの僕には最高に恐怖でした。
そして「どれほどこっそり息を潜めていても、そのうちに誰かが必ずあなたを見つけ出します」という捨てゼリフを残して消える。怖い。

、、ここからは小生が勝手に気付いた、そうじゃないかな?こうゆうことかな?と思ったことを書きます。
いわゆる解説サイトなんてレベルではありません。ただの感想ですのでよろしく。かなりの超絶ネタバレしています。

まず「リトル・ピープル」ってなんですねんって事だけど、今まで村上春樹が言って来た「根源的な悪」のことだと思っている。
昔は目に見える独裁者みたいに、悪の象徴みたいなイメージがあったけど、そうゆう悪は現代にはなくて、細分化されているという事かなと。
それはネットで誰もが小さいけれど確かな発現が出来るようになっている事。悪もそれを利用して広がっていくという事なのかもしれない。
戎野先生も「この現実の世界にもうビッグ・ブラザーの出てくる幕はないんだよ」って言ってたし、そんな感じなんかな、と。

この小説の後にジョージ・オーウェルの「1984年」を読んだけど、そこにはスターリンのような独裁者「ビッグ・ブラザー」が出てくる。
それとは違う1984年=1Q84。その世界にはビッグ・ブラザーではなく、リトル・ピープルが悪として存在してるみたい。
いまネット上では、抜き身の刃物のような言葉が飛び交っている。これはとんでもないことだ。と「村上さんのところ」にかいてあった。
「善い物語の必要性は、世界に存在する悪しき物語をちゃんと悪しき物語として判断する力を付けることにある」とも言っていた。

これはオウムが説いた悪しき物語。そしてそれを鵜呑みにして救われたと思ってしまう心のことを言っているのかな。
オウム裁判で死刑判決を受ける人達が、明らかに犯罪者という訳ではなく、普通の人だった。なのに悪しき物語を信じてしまった事によって
犯罪を犯す事になってしまったのだ。と「アンダーグラウンド」にそんなような事が書いてあった。僕はいろいろ考えてしまう。
悪しき物語に対するには善き物語という事か。だから天吾は小説を書いていたのかな、善き物語を。ドラクエの伝説の聖なる剣みたいに。

終盤、三者の輪は限りなく狭くなり、出会わない方がおかしいくらいの距離になった。それでも出会わない。ギリギリすぎて悶える。
出会わない理由は三者の視点によって語られるんだけど、目新しい手法ではないのに村上春樹の文章だと目新しく緻密なものに感じる。
見張っていた滑り台の上に天吾が現れる。それを見た青豆は飛び出してくるはず。。でもこない。なぜ?それは次の章で分かる。
天吾が去った後ベランダに戻った青豆は、見張っていた牛河にみつかって。。みつからない。なぜ?次の章で分かる。こんなのの連続。

とにかく、本当に最後のことまで超絶ネタバレしてますが、天吾と青豆は無事に再会して、非常階段を逆に登り1984年に戻るのだ。
最初に書いたけど、完璧なまでに物語は終結していると僕は思っています。これに続編があるならば、1984年に戻った後の二人の話。
もしくはブッグ・ブラザーの出てくる幕が上がった時。もしくはもしくは、その他の悪が生まれる時とか。
その時の為に天吾が新しく書いた小説(善き物語)が必要になってくるのかもしれない。伝説の聖なる剣みたいに。

いやしかし「1Q84」はとても面白かったです。僕の村上春樹体験の中でもかなり印象的な作品になってしまった。
前に読んだ7年前には理解ができなかった。難しく感じた事が、前よりも理解できているという事。僕もそれなりに成長してるのかな。
長い物語を一気に読み、読後はかなりの達成感を得ました。長年しらないふりをしていた宿題を片付けた気分です。
これで続いてきた「村上春樹再読」は終止符を迎えます。。と思ったけどまだエッセイが残ってた。またシコシコ読んでいます。それはまた今度。

中村さんが言っていた「建築的な物語」というのは僕も実体験できました。読む前にその言葉を聞いてたので、終始頭のすみで意識してました。
それはページをめくるごとに実感していき、難しいことは説明出来ないけど、なんかとても気持ち良いものでした。ありがどさまです。
またお店に行ったらお話させてください。「1Q84 BOOK3」未体験の時の僕とはひと味違うかもしれません。
砂嵐を抜けた後に、前とはちょっと違う自分になっているように。

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The End_1603 阿佐ヶ谷 / PENATX 67

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期待して待っちゃってる自分
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The End_1602 林試の森 / SONY RX100m3

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窓からオリーブの葉を
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「グランド・ジョー」

僕が好きな海外の俳優の中にニコラス・ケイジはわりと入ってくる。基本的に気持ち悪い演技をする人が好きです。有名どころでは、、
ショーン・ペン、ハビエル・バルデム、アンソニー・ホプキンス、エドワード・ノートン、ケヴィン・スペイシー、ホアキン・フェニックス
あと誰だろう、多すぎてわからん。でニコラス・ケイジ。古くはコンエアー。ナショナルトレジャー、マッチスティック・メン、コレリ大尉とか。
いろいろみてきたけど、今作はいままでにないニコラス・ケイジだった気がする。良い意味でです。

アメリカ南部に住むジョーは前科持ち。だが今では仕事でまわりから厚い信頼を得ていた。彼の仕事は黒人の日雇い労働者を管理し、森に生える弱く育たない木々に毒をまくというもの。ある日15歳の白人の少年が仕事場に現れた。ゲイリーと名乗った彼は、仕事をしないで飲んだくれる父親に殴られる日常を過ごしていた。ジョーはそんな彼を遠くから優しく見守っていた。

こ、これは結構な重さの映画でした。見終わった後とても疲れた。
まずはアメリカ南部の異質ともいえる文化。それは暴力的だけどメキシコ的なものではなく、土着的でグロテスクなものだった。
そして単純にゲイリーの父親に対する怒りが沸々とわき上がる。隣で傍観している母親にも。
ちなみに父親役は今作でデビュー、元リアル浮浪者。そしてこの映画の公開前に浮浪者用キャンプ地で死んでいたらしい。超リアルだな。。

ストーリー的にはジョーと廻りの人たちと、ゲイリーの成長譚って感じでした。ジョーの廻りには変な奴がいっぱいいる。
真面目に生きようとしてるのに、うろちょろかまってくるクズ野郎とか、アル中でクズなゲイリーの父親が中心になって邪魔してくる。
邪魔くさいし、不穏だし、意味深にまとわりつく感じに嫌悪感を抱く。だけどこの作品にはこの人たちがいないと成り立たないのかもしれない。
日本でも、地方出身者の人はちょっと共感する部分はあるのかもしれない。狭いコミュニティでもつまらないプライドの張り合い。みたいな。

全体的に雰囲気も絵も暗くて、セックスや暴力、そしてグロテスクな描写がある。僕はかなりキツかった。
アメリカ南部の田舎の生活を描くとなると、そうゆうものしか楽しみがない(ヒマが潰れない)ということなのかも。
皆ヒマそうだし、ヒマだからこそのいざこざ。わざと話を大きくさせようとしている感じもみえた。
やっぱり日本の地方につながる所もありそうだ。こんなこと言ったら怒られるかな。。笑

説明は多くなく、画や雰囲気で察してくれてきなな作り方が、個人的には好きです。
言葉にしなくても絶対に過去に何かあった雰囲気を纏っているジョー。
物語はしごくシンプルなものだし、新鮮味はあまりない。だけど確実に心を動かすものがあった。
この暗い感じとジョーのラストが綺麗じゃなくて好きでした。やっぱりニコラス・ケイジ好きだわ。

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The End_1601 駒沢 / SONY RX100m3

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祝1600回
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The End_1600 丸子橋 / PENTAX67

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注意深さだけでは不十分なときに
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「フォレスト・ガンプ 一期一会」

初めて子どもだけで映画館に行って、観た最初の映画はなんですか?僕はこの「フォレスト・ガンプ」です。
1995年公開映画だから、当時僕は15歳、中2か中3。バス乗って川崎のチネチッタに友だちと行ったのだ。
その当時、トム・ハンクスという名前や、ロバート・ゼメキスという名前を(BTTFは知ってても)知っていたかどうかわからん。
なんで「フォレスト・ガンプ」だったのかもわからん。副題の一期一会の言葉の意味も分かってなかったと思う、笑。

ある日、バスを待っていた男、フォレスト・ガンプは、同じベンチに座っている人に自分の半生を語り出した。アラバマ州のグリンボウで暮らしていたフォレスト・ガンプは、女手ひとつで育てられていた。生まれつき知能が低く、背骨も曲がっていた為に友達が出来ずにいたが、小学校に通うようになるスクールバスの中で美しい少女に出会い、運命的な恋をする。そこからフォレスト・ガンプの人生は激動のものになる。

僕の持っているアメリカの田舎の生活のイメージは、この映画で植え付けられていると思う。
いま改めて見直してもすごく良くて、好きで、素直に憧れを抱いた。川崎生まれの僕が懐かしいとさえ思った。
広大な芝生の真ん中にポツンと建つ白い木造の2階建ての家。切り妻屋根でテラスがあって、ロッキングチェアが置いてある。
内装は木の腰壁に花柄の壁紙、玄関の正面に二階への階段があり、部屋はバルコニーでもつがっている。好きだ。

戦後のアメリカ歴史を学ぶには、ヘタな教科書で勉強するよりもこの映画をみる方が分かりやすい気がします。
ウォレス知事の黒人差別撤廃、KKK、JFK暗殺、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件、ヒッピー文化、ジョンレノン、
映画を通して歴史を知り、アメリカという国に憧れにも似た感情を抱くのも良い。そして僕は19歳の時に初めてアメリカに行った。
映画の中でガンプとジェニーが再会して抱き合うリフレクティングプールをみた。その時は感動したけど、もっと世界を広げないと、とも思った。

この物語は悲劇なんだと思う。人生は悲しいことばかりで、失うことばかりだという悲劇。実際にそうだしな。
そして死は生の一部なんだという教訓。仕方のないことだけど悲しいし、恋しいということ。でも一瞬の輝きの為に生きているんだということ。
「僕らには運命があるのか、それとも風に乗ってたださまよっているのか、たぶんその両方だろう。両方が同時に起こっている」
15歳の僕にどのくらいこの言葉が響いたのかは、まったく覚えてないけど、36歳のいまの僕にはとても響きました。

ラストのシーン、イントロダクションと同じく羽が風に乗って舞うシーン、普通になんでもないシーン。
僕はそのなんでもないシーンで、昔の自分が感じた言葉にできないなにかを感じた。というか思い出した。既視感にも似た感情。
映画は時間を越えるからすごく良いよな、とは僕がよく言う言葉。それはとても個人的なものだけど。
また何年か後にみたいと思います。しかしトム・ハンクスって若い頃も今も、髪の毛の量がずっと変わってない。これはミステリーだ。

ガンプが自己紹介する時「I'm Forrest, Forrest Gump. 」って言う。
これは「Bond, James Bond.」とかけてるのかな?そんな僕は最近、ダニエル・クレイグ版の007を見直しています。

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The End_1599 祐天寺 / PLAUBEL makina 670

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สุขสันต์วันเกิด
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「村上春樹 / 村上さんのところ」

「1Q84」を読んでいて、長い物語にすこし疲れた時に、口直し的に読んでいた。
口直しのつもりだったけど、この書物はやばい。止まらない。ずっと読んじゃうのだ。「少年カフカ」の時もそうだった。
村上春樹が3万7465通のメールを全て読み、3716通の回答をした。そのうちの473通を抜粋したもの。
僕はその473通の質問と回答を読むだけで大変だった。それなりに時間がかかってしまった。書く方はもっと大変。

軽いものから重いもの、深刻なものからくだらないものまである質問に対して、村上春樹が独自の視点で返答してる。
その回答がいちいち面白い。自分の中にある引出が多いんだろうな。。そうゆうものは歳をとって経験を重ねるうちにある程度は増えると思う。
だけどこの人の引出の多さには脱帽する。それでいて芯というか、僕はこうなんだからしょうがない。みたいなものもハッキリみえる。
そして言葉が下品じゃない、これ大事。良いか悪いかはおいといて、僕はやっぱりこうゆう人間に憧れてしまうのだ。

好きだった言葉、いっぱいあったけどすごく長くなるので、一部抜粋します。
回答のみの抜粋なので、内容が通じるようにちょっと変えたりしています。

■子どもがいないからといって、人生を生きるという作業のクオリティーがそれで左右されるということはありません。作業の方向性が少し変わるだけです。
■でもただ待っているだけではだめです。世の中に出ていきましょう。傷つくのがいやで内に閉じこもっていると、なかなかそこから抜け出せなくなります。傷つくことを恐れないように。
■意味はようわからんけど、なんかおもろいし、読んだあと腹にたまるんや。というのが僕の考える小説の理想のかたちです。大事なことは固定の中にではなく、推移の中にあります。
■もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないかと思います。
■「おまえは創作者になりたいのか、それとも評論家になりたいのか、どっちなんだ?」と自分に問いかけることです。そうすると「どれだけこっぴどく批判されても、何もつくり出さずに批判だけする側に回るよりは、何かをつくりだして批判される側に回る方が、まだいいよな」と思いました。
■身銭を切るって大事ですよね。他人のお金を使っていては、何も身につきません。本当に大事なことは多くの場合、痛みと引き替えにしか手に入りません。
■普通はきちんと時間に従って生きていく。でも、何か都合が悪くなったら、「おれ、猫だからじかんのことなんてわかんねえ。過去も未来もねえや。なるようになるさ、にゃあ」みたいに適当にはぐらかして、開き直って生きていく。これしかないですよ。
■「若いんだからまだまだやり直せるよ」というのは「まあよくわかんねえけど、適当にやれや」というのと同じことです。自分のことは自分で考えて、自分で判断し、自分で責任をとっていくしかありあません。
■「私にはこの小説は理解できない」と思っている人には意外に理解できている、というのが村上の小説のあり方です。読んでいて「おもしろい」と思ったら、それはある意味、根幹を理解できているということなんです。
■言葉で表せないことって少なからずあるんです。実際に。また言葉で表してしまうと、いちばん大事ななにかが失われてしまうということもあります。
■賞をひとつもらったくらいで、生き方や書き方のスタイルが変わってるようじゃ、小説家をやっている意味なんてなにもありゃしません。
■「無条件に愛することができるもの」は与えられるのではなく、自分で見いだしていくものです。与えられなかったことを嘆いているだけでは、人間として進歩がありません。
■「***の良さがわからない人間は駄目だ」みたいな言い切りの言説にはお互い十分気を付けましょう。僕の小説だってそうです。好きな人がいて、好きじゃない人がいて、それで世界がうまくまだらに回っているんです。画一性くらい怖いものはありません。
■身銭を切って、そこで初めて得られるものがあります。あなたも若いうちにどんどん身銭を切られると良いと思います。そして内的な資本を貯めてください。痛い目にあわされても、それが滋養になります。しっかりと生きていれば、知らないうちに自分の中に「自分力」が溜まっていきます。
■いつ自分が夜の海に一人で放り出されるかもしれないという、孤独の予感みたいなものを男はいつも抱いています。
■言葉をおろそかにするものは、必ずその報いを受けます。汚らしい言葉を使う人は、ますます汚らしくなっていきます。
■僕は個人的には、自分の心の痛みと、まわりの人々の心の痛みとを、等価ととまではいかずとも、ある程度密接に連動させて考えられるようになることが、大人の証ではないかと考えています。
■たとえ不幸せになったって、人に嫌われたって、本を読まない人生よりは本を読む人生の方がずっと良いです。そんなの当たり前の話ではないですか。
■大事なのは、わかったとかわからないとかじゃなくて、それが身体に沁みるかどうかということじゃないかなと。わかったかわからないか、それもよくわからないけど、十年たってもなんかよく覚えている、という小説を僕としては書きたいです。
■恋というのはただ単にすとんと落ちる物です。落ちたらおしまいです。得も損もありません。危険も安全もありません。
■まず形式があるのではなく、まず中身があります。なにより大事なのは、その中身作りに全力を傾注することであり、妥協をしないことです。
■自分にしっかり勝つことができれば、他人にも勝てます。というか、勝ち負けなんてほとんど気にならなくなります。実はそれがいちばん大事なことなんです。
■言葉が古くなっても、表現が古くなっても、事情がかわっても、人の考えが変わっても、それは普遍のオリジナルとして、永遠の定点として存在します。それが芸術というものです。
■人は多かれ少なかれみんな病んでいます。意識を抱え、二本足で立って生きるという作業自体が、基本的に病んでいるのです。
■現実というのは無数の要素が寄り集まった、混沌としたものです。いろんな要素が複雑に絡み合っています。でもそのような混沌を自分の力で支えることのできない人たちが、「陰謀」というわかりやすいフレームを導入して、「これですっきりした」とという気持ちになりたいのです。そのように安易で簡単なフレームは、僕が言うところの「悪しき物語」です。ヒトラーが「今の世の中が悪いのはすべてユダヤ人の陰謀のせいだ」と主張したのと同じことです。だからユダヤ人を抹殺しちゃえば、世界はもっと良くなるんだと。とてもわかりやすいけれどとても危険です。
■あなたの言う、むきだしの暴力(※在日批判のヘイトスピーチ)が公衆の面前で堂々とおこなわれるというのは、一人の人間として本当に恥ずかしい、情けないことです。特定の国籍や、宗教を一律に口汚く非難するのは社会行為として明らかに不適切です。いちばんの問題は、愛よりは憎悪の方が、理性よりは怒りの方が簡単に言語化できることです。ポジティブなことよりは、ネガティブなことの方が人の心に直接的に訴えかけやすいことです。そしてインスタントな説得力を持ちます。たとえばナチの反ユダヤ・キャンペーンを「まあ、あんなのは口で言ってるだけで、本気じゃないだろう」と思って見過ごしていた人々が、後日大きな悲劇に見舞われることになりました。何よりも怖いのは社会が品位を失っていって、それが既製の事実として人々に受け入れられていくことです。
■気持ちよく生きて、美しいものだけを見ていても、感受性は身につかないということです。世界は痛みで満ちていますし、矛盾で満ちています。にもかかわらずきみはそこに、何か美しいもの、正しいものを見いだしたいと思う。そのためには、きみは痛みに満ちた現実の世界をくぐり抜けなくてはなりません。その痛みを我が身にひりひりと引き受けなければなりません。そこから感受性は生まれます。No pain, No gain.ということです。

いろいろしみる。

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The End_1598 渋谷 / PENTAX67

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ペインペイン・ゲインゲイン
まだまだ挫折中につきおやすみします。

時間がたてばまた立ち上がることが分かっているカジュアルな挫折と
根幹からグラグラする絶望に近い挫折があるならば、ぼくの今回の挫折はどっちなんだろう。
少なくとも僕はいま、写真なんて見たくもなければ、撮りたくも考えたくもない。

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The End_1596 田園調布 / PENTAX67

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ノーペイン・ノーゲイン
挫折中につきお休みします

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The End_1595 富ヶ谷 / PENTAX67

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ノー・コンセプト
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The End_1594 渋谷 / PENTAX 67

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やさしくソフトに
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「ジャッキー・コーガン」

真野さんが「マネー・ショート」のことを書いてて。合わせてこの映画のことも書いてた。真野さんいつもありがとうございます。
僕の中で「ブラピの映画にはずれなし」というジンクスがあって、だいたい彼の出てる映画はみてる。
「WWZ」はみてないけど、笑。「イングロリアルバスターズ」もみてない。タランティーノ臭(グロ)が僕をちょっと躊躇させる。
この映画もみてなかったけど、みれそうだったのでさっそく。

2008年、バラク・オバマが黒人初の大統領になる選挙が全米で白熱していた。だが、市民の生活はサブプライム問題の経済危機によりとても苦しかった。刑務所から出所したフランキーは、獄中で知り合った中年男の強盗計画にのる。それはマフィアの賭場から大金を奪うというものだった。フランキーは無事に強盗を成功させたが、組織は事件の解決を凄腕の殺し屋、ジャッキー・コーガンに依頼する。

ぼくはサブプライムの金融問題に詳しくない。なんか大変そうだなと、対岸の火事的に思っていただけだ。
今はテレビをほとんど見ないので、昔よりそうゆう時事に疎くなったけど、その頃はまだテレビをみていたはずだ。それでも興味がわかなかった。
そのサブプライム問題の経済危機を裏テーマに置いた映画という前情報を知ってみました。それが良かったのかはわからんけど個人的には面白かった。
意味深にブッシュが演説してたり、大統領選の雰囲気が物語の背景にあったり。知らなきゃ分からなかったし。

物語は、冒頭からコーガン(人名)登場まですんなり進み、コーガンの追撃は始まるんだけど、
トントン拍子であっさり実行犯をみつけたり、伏線的なものはほぼなかったり、物語の深み的なものはあんまり感じません。
その代わりあんまり関係がない(なさそうな)会話が結構長回しで続いたりする。ピンチョンっぽい思ったわ。
でも後で調べると、使い物にならない殺し屋=サブプライム問題で何もできなかった財務長官を皮肉ってたるするらしい。いろいろ仕掛けてるな、笑。

コーガンは、過去に賭場の強盗の自作自演をした男を狙う。それがもうかなりのスローモーション殺人。
「美しく、殺す」だっけ?なんかでコピーを目にしたけど、ハイスピードカメラで殺しのシーンを劇的にしている。
いやこれ確かに美しいけど、ちょと美化しすぎと思った。大雨の中で殴り合うシーンは、ストロボ焚いて飛び散る血液も美化されていた。
吐瀉物まで美しく見えた。これはまったく趣味じゃなかった。嫌悪感すらあった。

この映画はかなり酷評も多い物だったけど、僕は大丈夫でした。
いやでも「ブラピの映画はハズレなし」ジンクス、破られへんわー。

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The End_1593 二子玉川 / Nikon D610

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ちょっととりあえず厚揚げ
2016年の桜まとめ、その2

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The End_1584 桜 / Nikon D610 と Nikon F3 と PENTAX67

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ちょっととりあえず豆腐
2016年の桜まとめ、その1

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The End_1574 桜 / Nikon D610 と Nikon F3 と PENTAX67

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おっちょこちょいの語源
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The End_1573 荏原 / PLAUBEL makina670

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内的な資本集め
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「オカンの嫁入り」

「きみはいい子」をみて、改めて呉美保監督作品が好きなんだと思ったので。掘ってみた。
大竹しのぶと宮﨑あおい主演。存在は知ってたけど手が伸びなかった作品。こうゆう機会がないとなかなかみない種類の映画かも。

月子は父親を早くに亡くし、母親の陽子と長屋の大家サクと暮らしていた。彼女はある事情により仕事をせずに家事の手伝いをしていた。それは平穏な日々だったが、ある日の深夜に泥酔して帰ってきた陽子は、若い金髪リーゼントの男を連れて帰ってきた。月子は男性が苦手で、心中穏やかではなかった。しかも翌朝、陽子は「この人と結婚します」と言い出した。それに猛反対した月子は家出をしてしまう。

前半ホームドラマ的なベタな雰囲気がある。このゆるい感じでずっと進むのかな、呉美保っぽくないなと思ったけど
中盤に月子の抱えるトラウマとか、メンタル的に重いシーンがあって、その描写が陰鬱でちゃんと呉美保だった。
物語自体はとくに目新しい所もなく、タイトルからも想像できる通りにベタに物語は進んでいくけど、それなりにみてて面白い。
ただ、本当にちゃんと想像通りに物語は進むし、予想通りな事が起こります。笑

しかし、母親ネタになると僕の感動ハードルは大幅に下がってしまい、所々でグッとくる場面もあった。
大竹しのぶ自身が破天荒なキャラだから、ある程度、素の演技なのかなと思ったけど、時折りみせる真剣な眼差しにハッとさせられる。
あ、この人(良い意味で)怖いと思った。セリフ以上に眼が語っている。スクリーン通してそれが分かるのは演技力以外の何物でもない。はず。
陽子の勤める診療所の医師役で、國村隼が出てるんだけど、良い。本当に良い。何やらせても良い俳優さんだと思う。

というわけで、正統派すぎて印象に残りづらい映画になってしまっているかもしれないけど、まあ良かったです。
月子役の宮崎あおいは、、かわいい。この映画では自分の心の整理が上手くつかずに、眉間にしわが寄っている表情が多いけど、それも、、かわいい。
パジャマのまま上着だけ羽織って早朝の犬の散歩に行く少女を演らせたら、彼女の右に出る者はいないのではないか。
その辺はヤジくんと熱く語り合いたい所だ。あとクノールカップスープを飲んでたら完璧だったな。CMになっちゃうか。

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The End_1572 渋谷 / PENTAX67

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