DATE:2016/01/31(Sun) 10:53 No.1884

「石川寛 / 好きだ、」
好きで何回もみている映画。石川寛の別の作品「tokyo.sora」「ペタルダンス」も静かで好きな映画です。
「好きだ、」をみてこの監督を好きになったんだった。でももう10年前の映画なのね。。
お互いに好意のようなものを持っているのに、言葉に出来ずにいる17歳のユウとヨースケ。河川敷でギターの練習をしているヨースケに会いに行のがユウの日課だった。ユウの姉、サユリは半年前に恋人を事故で亡くし失意の底にいた。だけどサユリはヨースケに会っている時、ほんの少しだけ元気になっているように見えた。それからユウは姉に気を使い河川敷にいかなくなる。
こんなに静かな映画なのに退屈しないのは、多くの要素が個人的に好みだということ。
まずキャスト。宮﨑あおいと瑛太、そして永作博美と西島秀俊。全員好きだ。
そして音楽。ほとんどBGMはないんだけど、ヨースケの弾くつたないギターの音が良い。
完成した曲が流れるタイミングも最高に地味で最高だ。
そしてそして、ロケ地は多摩川ではないけど、僕の原風景を彷彿させる河川敷の風景。
余計なものを肉付けしないでシンプルに心の動きを映像化する試み。そしてできた凪のような映像。
そうゆうもののほとんどがツボなんだけど、一番はやっぱり物語なのであります。
ここから多くを語ることになるので未見の人は読まない方が良いです。気を付けてるつもりだけど念の為。
この映画をみてると、僕が子どもの時「絶対に忘れない」と思っていたことも、実際キレイさっぱり忘れていることに気付く。
時間が解決することや、考えてもしょうがないということに、異常に反抗していた自分がいたことも思い出した。
誰かに決められることが嫌で、自分で何事も決めたいと思うエゴの塊だった。(それは今でもあまり変わっていない)
それが今は大きな意味で、惰性という流れに乗っていることと、それが意外と居心地悪くないということ。あの頃の僕がみたらなんて言うかな。
通しでみてると、人間は悲しみを積み重ねて生きていくものなんだなと思う。すごく悲観的に思われるかもしれないけど。
でも基本的に人生は圧倒的に辛く悲しいことの方が多いはず。透明で質量のない荷物をどんどん増やして歩いていくのだ。
村上春樹が言うように、人と人は傷や痛みによって繋がっているのかもしれない。
そして悲しみや痛みの共有でしか、本当の意味での調和はない。痛切な喪失を通り抜けない調和はない。ということかもしれない。
大人になったユースケとユウの年齢は今の僕と同じ35歳。だからこそ共感する部分はあった。
永作博美が泣くシーンがあるんだけど、これが静かですごく良かった。容れ物から水があふれ出るような静かな泣き方。
人にはそれぞれ容れ物みたいな物がある。その容れ物は色を塗ったりして見た目は変えられるけど、大きさは変わらない。
その容れ物はいろんな要因で、透明で質量のない中身が増えたり減ったりする。そしてたまに溢れる。その瞬間はきっと美しいものだと思う。
撮影は状況設定とゴールだけ決めて長回しし、演者から自然にでてくる空気感を待つという気の遠くなる手法。
できた映像には不思議な緊張感があって食い入るようにみてしまう。前半は特に、思春期の整理の付かない気持ちが出てます。
大人になった今、気持ちを言葉にするのはうまくなったけど、言葉にできなかったあの頃ほど純粋でないのはなんでだろう。
そして時間が経って変わってしまうものと、どうしても変わらないものって、やっぱり存在する。

The End_1506 北千住 / Nikon F3
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