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昼間の月
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The End_1450 丸子橋 / SONY RX100m3

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砂漠だけがのこる夢
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「日常を旅する」

関ちゃんの彼女であり、今では奥さんで、一児の母の小沢利佳ちゃん。
彼女が撮った写真が「日常を旅する」という一冊の本になって発売されました。
中央線沿線のガイドマップ?的な本です。読んでると散歩に行きたくなります。
そして写真に関しては(もうおひとり撮ってる方がいるみたいだけど)日常的なものなんだけどハッとすることがある。
僕は物事の基準を「ドキドキしたかどうか」で決めてるんだけど。ドキドキした!ドキドキした!
僕の撮る写真とは種類(そういう言い方が合ってるかわからないけど)が違うけど、感じる所はあるのです。
作品をみるにあたり私情を全て取り払い、完全に客観的になることは難しいけれど、ドキドキした。それだけで良いのです。
アマゾンにも書店にもならんでいますので、是非見かけたら手にとってみてください。

、、という訳でせっかくだからリカちゃんのことを書いてみる。
リカちゃんに会うといつも彼女は困った顔をする。会えて嬉しくて楽しくてもう困っちゃう的な顔を。
それはもちろん僕にだけ向けられるものではなく誰にでも、なんにでもそうで、全てのものにフラットに向けられているものに見える。
それこそ万物に向けて慈しみの笑顔を投げかけるお釈迦様のようなもの、とか言ったら失礼に値するだろうか(褒めています)
「全てのものに感謝」なんて言葉はキレイ事、、って斜めから見てしまうけど、リカちゃんだとあり得ない話でもないような気がする。
そうゆうのを見てると、この人は丁寧に生きてるんだなーと思うのです。そしてそれが彼女の人徳にも繋がってるんだと思う。
それは関ちゃんもそんな感じだから相乗効果を生み、彼ら夫婦のまわりにはいつも人が溢れてる。人徳夫婦と呼ぼう。

リカちゃんとはなんかのタイミングでメールしたり、文章を交させてもらうんですが、毎回曖昧で答えのないことを話しています。
関ちゃんとふたりで「記憶の中の祝祭」という展示をした時は、僕は記憶のことを考え、自らの記憶の海にダイブすることになる。
彼女に悲しいことがあった時は、自分に置き換えて考えて、なんかしらの言葉を伝えないとと、なぜか個人的義務感に襲われる。
それはこの本が出た時にも少しあった。だからこそこの本はちゃんと買わないとと強く思った。
だから僕はこれからこの本を見るたびに、あの時リカちゃんにこんなことがあったんだ。と思い出すんだと思う。

記憶って、それこそ今の落ち葉みたいにどんどんどんどん降り積もり、下にあることはもう忘れていってしまう。
だけどそれは決してなくなってる訳じゃなくちゃんとそこにあって、なにかのきっかけでひょっこりと出てくる。
そうゆう瞬間はとても良い瞬間で(悪いこともあるけれど)そうゆうのがあるから人間は生きれる。というのは言い過ぎかな。
この本は僕の中で、ひとつの記憶を呼び戻すきっかけになる本になりました。リカちゃん、写真、ドキドキした!

関ちゃんリカちゃんこまねちゃんの店舗併用住宅?ラマパコスで展示会が始まっています。今日か。でも毎週末やるみたいです。
「ラマパコスの冬じたく展」僕もどっかで行こうと思っています。

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The End_1449 京王多摩川 / PLAUBEL makina 670

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昔話、いつもの話、こんどの話
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The End_1448 京王閣 / PLAUBEL makina 670

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形而上学的な耳
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「是枝裕和 / 歩いても歩いても」

早稲田松竹二本立て、是枝裕和スペシャル。二本目です。

夏の終わりのある日、良多は結婚した妻と、連れ子のあつしを連れて実家に向かっていた。15年前に亡くなった兄の命日だった。実家には引退した町医者の父親と、いまだに良多を子ども扱いする母親。そして姉夫婦が集まった。

「海街Diary」とは比べられないけど、こちらもなかなか複雑な家庭環境だった。
「そして父になる」もそうだし、そうゆう複雑だけど変わらないものを題にすることが多いのかな?
この物語は兄の命日に実家に向かい、一泊して次の日に帰るまでの短い時間の話。
核家族化が問題になってた時代があったけど、今はどうなんだろう。そういえばあまり聞かないので。

父親役の原田芳雄は、引退後も意地とプライドしか残っていない偏屈なジジイ。
団塊の世代のちょっと上の方になると思うんだけど、僕の父親とかなり共通点がみえてイライラした笑。
母親役の樹木希林の存在がやっぱり光ってて、彼女が全部持って行ってる気がした。
「わが母の記」でボケてきた母親役をやった時の雰囲気。どこまでが演技で、どこまでが素かわからない。

大人になると楽な部分もあるけど、あまり言葉にしないからこそこじれることってすごくある。
「家族」というものでくくられてるけど、血の繋がらない他人の集まり。
その中で絶対的な「自分が産んだ子ども」に愛情が傾くのはとても自然なものにみえた。
そして同時に世の中はとても不確かな関係性の集合でできてるんだな。。と思った。

僕はもう親元を離れて暮らすようになって15年くらい。もう少しで一人暮らしの方が長くなる!
それまで日常的に生活をしていた場所が、非日常の場になり。それは寂しくもあり、嬉しくもあり。すこい煩わしくもあり。
そんな感情を言葉にしないけどなんとなく感じている良多の気持ちが、僕はすごく分かってしまった。
そして親が年齢を重ねることの、ごく自然なことなんだけど、淋しさ、不安も共感した。

何でもない日々の積み重ねの先に、なにがあるんだと問われたらきっとなにも無いと思う。
人間生まれて死んでいくだけかと問われたら、そうだと答ると思う。だけどそうじゃないなにかもある。
この映画にはそんなものがちょっと描かれている。そして終わった後のそれでも時間は経ってしまう儚さ。
もう会えない淋しさもある。じんわり切なくなるとても良い映画でした。

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The End_1447 油面公園 / PLAUBEL makina 670

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マス・プロダクトとしての飛行機
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The End_1446 油面公園 / PLAUBEL makina 670

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タイム・アフター・タイム
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「是枝裕和 / 海街Diary」

パリのトーゴ君がみてくれって言うから、早稲田松竹でみてきた。
徳島に嫁いだ同級生のいづみちゃんが原作を絶賛してたのを覚えてた。
原作は1巻だけ読んだけど内容は忘れちゃった。
この映画すごく良くて僕は2回泣いた。なんでもない話なのになんでだろう。なんでもない話だからか。

鎌倉で一緒に暮らす幸・佳乃・千佳の三姉妹。彼女らの元に15年前に家を出た父の訃報が届いた。山形でとりおこなわれた葬儀に向かった三人は、そこで母親違いの妹、すずと出会う。母親を既に亡くしていたすずは、山形でひとりぼっちになってしまう。幸はそのすずを見て一緒に鎌倉で住まないかと提案する。

いろんな要素があって、どこから説明すれば良いか分からないけど、とにかくすず役の広瀬すず。
中学生役なんだけど、クラスにこんな子が転校してきたら、そら好きになるやん!好きになるやん!という感じ。
あの美人すぎない、居そうっちゃあ居そうなのに手の届かない感じがすごく良いんだと思う。
物語の中で恋みたいなものに気付くんだけど、器用に発展しなくてすごく安心した。それだとただのティーン映画になっちゃうから。

すずと三姉妹の関係はただの腹違いとすぐに理解できる。でもすずの母親は、すずを連れ子として三姉妹の父親と結婚。
そして母親は亡くなり、父親はまた再婚して、その人とは母になるけど血のつながりはない、お父さんも居ない。
でも父親も血のつながりがない。あーもう複雑!破局、死別、離別、孤独いろいろあるのは分かったけど、なんだかモヤモヤした。
深く考えないようにしてたけど、三姉妹の母親が出てきて幸がキレてるのとかよく理解出来なかった。樹木希林も誰かよく分からなかった。

四姉妹それぞれにいろいろある。みんな頑張って普通に生きている。だけどやっぱりすずちゃんが泣きポイントでした。
鎌倉に来ない?と誘われたときのすずでまず泣いた。鎌倉に来て生活は楽しいけど、言いたいけど言えない、感じ。言って良いのに。
どこか申し訳なく生きている感じ。でもそれが昇華する場面がある。僕はそこでドバッと泣いた。35歳、映画館、最前列で、ひとり、泣いた。
存在。と、ひとことで片付けられないものだけど、すずは居場所と存在を認めて欲しかったんだ。生きてて良いに決まってるのに。

是枝裕和作品によくある「家族のありかた」みたいなのを考えさせられてしまう。ぼく独身だけど。
血のつながりだけでなく複雑なこと、家族といえどもみんないろいろあるけど、それでも一緒に暮らすということ。
いわゆるホームドラマ、いろいろあるけど、なにもない。悲しいこともあるし楽しいこともある。ただ生きる。ダイアリー。
みんな仲良い家族の風景、そうゆうの嘘くさく映るんだけど、超自然だった。なんでもない感じがとてもいい。

総じて、すごく良かった。原作を読んだときはあんまり入り込めなかったんだけど、それが良かったのかどうか。
原作好きな人は「映画は端折られててだめやわー」っていわれる系のものになってそうな予感がする。原作、2巻以降も読んでみようかな。
それと、個人的なあれですが、、鎌倉の花火大会の場面。材木座とか由比ヶ浜の海岸が映る。よくここを歩いたと思い出した。
もう遠いむかしのことになってしまった。

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The End_1445 由比ヶ浜 / Hasselblad 500CM

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冬の朝のにおい
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The End_1444 羽根木 / Hasselblad 500CM

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TATA
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「ハンニバル」

「羊たちの沈黙」に続いてみてみた。
前作の、グロいし怖いのに、物語に引き込まれる、2時間があっという間というものを感じて、今作も期待して。

バッファロービル事件から10年。FBI捜査官のクラリス・スターリングは、あるプロジェクトで多数の死者をだしたことで非難をあびていた。彼女の窮地に目をつけた大富豪のメイスンは、レクター狩りの任務をクラリスに命じる。メイスンはレクターに顔を潰された被害者の一人だった。レクターはイタリアのフィレンツェに潜伏していたが、地元の刑事に怪しまれその連絡はFBIに流れることになる。

これはキツかった。かなりキツイ。前作のグロはまだみれた。グロ苦手の僕でもなんとかみれた。
でも今作はかなりキツイ。何度もいいます、かなーりキツかった。
特に最後の晩餐のあれ。レビューでもトラウマを感じてる人は多数いたけど、あれはない、ありえない、本当にない!
35歳男性の僕が少女の様に、手で目を覆い画面を見れない感じになりました。

物語はというと、前作のドメスティックな物語から一変わり、かなり広がったクライムサスペンスに近い。
前半は舞台をイタリアに移し、FBIの捜査にフィレンツェ警察のある刑事が関わる。
そのビジュアルがどこか007っぽくて、ちょっと嫌だった(007は大好き)そうなってくると、本題がすこしずれてしまう気がする。
これは監督がリドリー・スコットだからだと思う。ワールドワイドに劇的に描かれてしまう。リドリー・スコット好きだけど。

猟奇的殺人犯、ハンニバル・レクターと、FBI美人捜査官クラリス。スターリングの数奇な関係。
それを無理に広げている気がした。物語としては何も不自然な所はないし、すべてスッキリ終わってるんだけどさ。なんかね。
シンプルに面白かった前作「羊たちの沈黙」の方が僕は好きでした。クラリス役はジョディ・フォスターだし。
今作のクラリス役ジュリアン・ムーアという人は全然悪くないんだけど、ジョディ・フォスターとどうしても比べちゃう。

物語はキツかったけど、カトリックとプロテスタントの話とか、ダンテ、ユダの話が絡んできたりして結構好みでした。
舞台はフィレンツェなので、その雰囲気も合っていてとても良い。雰囲気はダヴィンチコードっぽいっちゃあぽい。
ダンテのことに関しては、面白いなあと思ったけど、あまりにも無知なので、ちょっと勉強したいとまで思った。
いやしかし、やっぱりない。この映画を2回みようとは思わない。

アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクターは相変わらずというより、前作よりかなりの非人道的殺人者だった。
それでも普段はかなり普通の日常生活を送っていること。そして場合によってはレクターに感情移入しちゃって
少しだけ、なんか良い奴じゃん。とか思っちゃったりする。それが人間離れした猟奇殺人者とは違う面白い所です。
いやしかし、もう見ない。もうキツイ。

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The End_1443 目黒本町 / PLAUBEL makina 670

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踏み切れない理由
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The End_1442 武蔵小山 / PLAUBEL makina 670

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汽車の窓辺から
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「ポール・オースター / ガラスの街」

柴田元幸訳で読み直した。篠田太郎さんのご助言で。
ポール・オースターはどメジャーな作家だけどこの作品と「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」のニューヨーク三部作しか知らない。
あと「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」か、、あれは小説じゃないのでカウントしません。
なのであんまり知らないといっても良いと思います。それでもやっぱり耳に入ってくるくらいどメジャーな作家。

ダニエル・クインは詩や評論を書いていたが、妻子を亡くしてから野心を失い、匿名でミステリー小説を書いて暮らしていた。仕事をしない時間はニューヨークの街をあてもなく散歩するのが趣味だった。ある真夜中、彼は電話で起こされる。その電話の内容は、ポール・オースターという私立探偵への仕事の依頼だった。クインはかけ間違いを指摘して切るがその電話は後も続いた。興味をそそられたクインはポール・オースターとして依頼者に会うことにする。

まず最初に、読み直そうと思って本棚を物色して見つけた。それが山本楡美子訳。
それをSNSであげたら篠田太郎さんが柴田元幸訳をお勧めしてくれた。僕は柴田元幸訳版の存在を知らなかったので早速買ってみた。
そしてせっかくならと思って最初の方だけ読み比べてみた。じゃないと違いがわからんので。
結果は、、こんなに訳者によって表現が変わるんだ。という印象につきる。これは今まであまり訳者に興味を持ってなかったので、少しびっくり。

そしてもうひとつ、なぜこの小説を再読しようかと思ったか。それには漫画版「シティ・オブ・グラス」の存在がある。
これも前に読んでたんだけど、最近何となくまた読んだ。絵はデビッド・マッズケリというアメコミの人が描いているんだけど、それが好きなんです。
ポスカで描いたようなモノクロの絵。そして抽象的かつ的を得た絵で、とにかくすごく好きなんです。
その漫画版を読んで、原作も再読しようと思った。その為この小説の文章で描かれている風景は、全て僕の脳内で漫画の絵とリンクしています。

「そもそものはじまりは間違い電話だった」という言葉からしびれるのは僕だけだろうか。
最初は間違い電話として受け流すクインだが、自分を偽り、覆い、自分じゃない誰かになろうとする。
そしてピーター・スティルマン、スティルマン夫人との出会い。言語が混乱しバベルの塔が崩壊した話。
ミルトンの失楽園、アダムの堕落の話、ドンキホーテの話。ハンプティダンプティと、ぜんぶ面白かった。雑ネタが増えた。

ニューヨークだけに限らず、都会の喧噪に紛れ自分を確立できない感覚は理解できる。
自分という存在が曖昧になる感覚。水の中を歩いているような白日夢の感覚は東京でもある。
この物語のクインはニューヨークの街に溶け込み、自分が自分でなくなっていく様が描かれている。
それは孤独な人間の心に宿るものかもしれない。きっとそうゆうのはクインじゃなくとも、僕にも誰にでもあるはずだ。

この物語は決して探偵小説ではない。もっと精神的で切ない喪失の物語だ。そしてクインは僕と同じ35歳。

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The End_1441 並木橋 / PLAUBEL makina 670

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すりきれたネジ
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The End_1440 祐天寺 / PLAUBEl makina 670

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手が切れそうな名刺
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「小栗康平 / 眠る男」

小栗康平祭り、最後。
もう一つ浅野忠信が出ている「埋もれ木」というのがあったんだけど、仕事の都合で見られなかった。残念。

山間にある小さな町、ここには様々な人が暮らしていた。山で事故に遭い寝たきりを続けている拓次、知的障害を持つ少年、水車小屋の爺さん、自転車置き場の少年、南アジアからやって来てスナックで働くティア。そして拓次の友達で電気工の上村。冬が過ぎ、春が訪れるにつれ人々に変化が訪れる。

これも相変わらず説明がかなり少ない映画です。またあらすじかいてて「へーそうなんだ!」と思っている。
そして象徴的であり観念的な表現が多い。これは小栗作品からは切り離せないものなんでしょう。
だけどよくよく考えてみると、この物語はすごくメタファーの宝庫で、とても緻密に作られた映画だと思う。
とても分かりづらいのは否定できませんが笑。小説とかで読むとまた印象が違うんじゃないかな。

僕はとても好きでいろいろ勘ぐってみてしまい、あっと言う間に終わってしまった。
でも苦手な人は苦手だろうな。。寝ちゃってるお客さん(イビキが聞こえた)もいたみたい。
以下僕なりの考察なのでネタバレします。でも相も変わらず僕がこうゆうことを言う映画は、
ネタバレとか関係ない映画です。いわゆる犯人捜し的なものではないという意味です。

まず寝たきりの拓次。タイトル「眠る男」は彼のことだと思うけど、ずっと寝てる。たまに反応するけど。
上村は、拓次と幼い頃に行った山の中の小屋。急に思い出してそこに行ってみたいとか言う。
そして拓次は寝たきりのまま回復する事もなく息を引き取る。その時お婆さんは魂の抜けるのを目撃する。
スナックで働く故郷で子どもを亡くしたティア。彼女は山の中で死んだはずの拓次と出会う。

ティアと拓次は面識なかったはずだけど、森の中で邂逅するのだ。そして道を教えてもらう。。
その先には上村と拓次が昔遊んだ小屋があった。そこの涸れたはずの井戸からは水が出ている。
上村がその小屋を訪れてティアと出会う。最後、上村は谷川岳でブロッケン現象を体験する。
そして「拓次、人間は大きいんか、小さいんか、」みたいなことを言う。そして町からはアジア人の女が居なくなる。

よし!言います。森、井戸、あの世とこの世の曖昧な世界での邂逅、眠る人、暗喩の宝庫。
僕は村上春樹感を感じずにはいられなかった。どちらが先だとか、パクリだとかそうゆうくだらない話ではない。
素直に僕はドキドキしてみてた。すごく説明がないし、分かりづらい物語だし、断片的だし、観念的。
物語としては「意味分からない」で終わる話だと思う。でも僕にはビンビン来てしまった。感じてしまった。

これまで見てきた三作品は、全て戦後のトラウマだったり、不具合だったりを描いてきてた。
今作は戦争はあまり関係がなく、人間とは、生きるとは、生命とは的な大きなものを描いている。
そんなもの誰も分からないのだ、だから分かりづらい物語になるのは当たり前なのだ。
もちろん「面白い!」という映画ではありません。でも心のそっと触れるこんな映画はたぶん10年後も覚えている。

「伽倻子のために」の時にかいたけど、群馬県の市民が何万人かになった記念で作られた映画。
なので全編通して群馬県の風景が映し出されています。それは市街地や里山の風景だったりするんだけど
なんといっても谷川岳の雄姿がバックにいつもある。後半は上村が山にいってたり。
そもそも拓次が寝たきりになったのは谷川岳での滑落が原因だし。谷川岳こわい。

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The End_1439 原町 / PLAUBEl makina 670

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筋肉反射速度改善週間
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The End_1438 祐天寺 / PLAUBEL makina 670

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「小栗康平 / 死の棘」

小栗康平祭り、三本目。

「泥の河」では、戦後の家庭の空気感を。「伽倻子のために」では戦後の在日朝鮮人のあり方を表現してた。
そして今作は戦後の夫婦の問題。全てに戦争が終わった後の人間の関係、精神状態が表現されている。

トシオとミホは結婚してから10年、子どもを二人持った夫婦だった。二人は戦時中の奄美大島で出会ったが、トシオは特攻隊長として死を予告されている身だった。トシオの出撃時には自分も自決して共に散ろうと決意していたミホだったが、発動命令はおりないまま敗戦を迎える。そして今トシオの浮気が発覚し、夫婦生活に破綻が生まれる。

とあらすじを書いたけど、この映画をみた僕でも「へーそうだったんだ」と思う部分はある。
それくらい説明のない映画です。いわれれば暗喩めいた表現はあったわ、と思うくらい。嫌な人は嫌でしょう。
特攻隊長として、そしてそれを追う女として、心の中で一度死んだ身の彼ら。そこでなにかが終わってしまった部分はあると思う。
もちろん死なずに生きれて、結婚して子どもも授かって良かった。だけどその時に肉体とは別に死んでしまった部分があるんだと思う。

二人は、嫌なこと、我慢できないことがあると難癖付けてすぐに死のうとする。
特にヒステリックにキャンキャン言ったり、急に落ち込んだり、完全な躁鬱状態のミホはみてて怖くなる。
もちろんそうゆう風になったのはトシオの浮気が原因なんだけど、暗い女はイヤダネー。とアラーキー的に言いたくなる。
トシオは荒ぶるミホを落ち着ける為に、抱きしめてこう言う「新しい過去を作りに行こう」と。名言、名言だ。僕も使いたい。

トシオもミホにクドクド言われたあげくタガが外れ自殺に走る「肺炎になって死んでやる!」って肌着姿になって座り込む。
冬で寒いから放っておけば肺炎になって死ぬ、という意味だと思うけど、、失笑しかしない。
それをみたミホは「そこまでやるなら裸になりなっ!」みたいなことを言い、トシオは裸になる。
それをみて奥さんも裸になって正座で向き合い、お互い寒さを我慢する。肺炎で死ぬために。。イイナー。とアラーキー的に言いたくなる。

でもこの映画、とても仄暗い心の深淵を描いているから、そんなに明るく見られない。
前にも書いたけど所々で黒沢清的なスポットが入ったり、後半、真っ暗な中で水を掻くトシオの後ろ姿とか、かなりトラウマチックな描写が多い。
そうゆう心の動きを映像にしようというものは、一連の小栗作品の中にみてとれました。
夜中に暗闇の中でケンカして仲直りして雨戸開けたら快晴とか。ギラッと光る白いスカートとか。ぜんぶ夢みたいなんだ。

最初にかいたように説明も丁寧じゃないし、分からない部分は多い。
でも僕の脳裡にはそうゆう描写が離れないで残っている。それだけで意味があるってものさ。

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The End_1437 富ヶ谷 / PLAUBEL makina670

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自転車で行ける水族館
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The End_1436 西小山 / PLAUBEL makina 670

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