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お互いが沈黙を選んだ 
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「牧村一人 / 君を覚えてる」

久しぶりにエンタメ的な小説を読みました。
「ねじまき鳥クロニクル」が終わって、とりあえずなんか普通なの読みたいと思って本棚を物色してた。
タイムループ、タイムスリップ、タイムトラベル。いろんな呼び方があるけど、そんなSF物だと思っていた。
当たりっちゃあ当たりだったんだけど、良い意味でも悪い意味でもちょっと不満は残った。

子供時代の一時を過ごした町に戻ってきた主人公。やがて身に憶えのない記憶が度々フラッシュバックするようになる。それはどうやら別の世界線の記憶だった――。干渉する並行世界、そして起きる悲劇とループの果てに掴む未来とは。

面白かった。序盤、青春小説まるだしの流れで、30半ばの男性が読むにはちょっと気まずかったけど。
でもそれはそれで新鮮だったかもな。主人公の恋人のハム子(公子)という女の子がすごくよい子だった。
「君は絶対にハム子を放してはいけない、あんなよい子そう居ない」と言われるシーンがあるんだけど、大いに賛同した。
そうゆうジュブナイル的な流れから少しだけホラー感を匂わせる展開は、読む物を引きつけた。

エヴェレット解釈=パラレルワールドの存在を肯定したものと、コペンハーゲン解釈=世界はひとつきり。
という専門語の説明も難しくなく、さらっとしてるので気楽に進むと思います。
中盤からはしっかりSFで、細かい引っ掛けとネタ公開が続く。それはそんなに大がかりな物ではなかったけど、まあ。
そしてやっぱりホラー感は多かったと思う。ホラー苦手の僕でも読めるあれだけど、個人的にはあまり趣味ではない。

なんかSFだから超非現実的で良いんだけど、ちゃんとロジカルに物事が進む感じはとても好きでした。
結局さ、SFだからぶっ飛んで良いのだ。という前提で物事が進むのはあまり好きではないんです。
それだと何でもありの気がして。ある程度の制限がないと、物語は面白くない。それは物語だけではないと思う。
という訳で概ね良い印象でラストまで一気に読めたので良かったんだけど、ひとつだけ文句がある。

本文中にロバート・A・ハインラインの「夏への扉」の話が出てくる。
どこでも名作とうたわれているあの小説。猫があれしてあれするやつだけど。その小説のネタバレめいたものが書いてある。
そして「未読の人はごめんなさい、ここネタバレです。でもあんな名作、まだ読んでない人なんていないと信じる」と書いてある。
僕、読んでない。なんかすんません、でもこれありなんかな。。とりあえずいつか読もうと思っていたあの小説は、今のところ読む気はしていない。

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The End_1390 目黒本町 / Nikon F3

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ツメシボと火曜日の女たち
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The Eng_1389 目黒本町 / PLAUBEL maina 670

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乳頭ファイブ・ショー
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「やさしい女」

早稲田松竹、二本立ての二本目。ドフトエフスキーの短編小説を基にした物語。
ロベール・ブレッソン監督作品。ベルトリッチ作品で有名なドミニク・サンダ主演。
軽くはないテーマで、セリフがかなり少なく静かな映画。だけど決して重くなくすごく良かったです。
DVD化されてないそうなのでみれて良かったけど、こんな名作DVDにしない方がおかしい。

男はパリで質屋を営んでいた。ある日店にやってきた若い女は、カメラを質にいれようとしていた。だが直前で気が変わったのか、帰ってしまった。次に来た時はまったく価値のないものだったが、男は特別にと高くお金を支払った。動物園で彼女にプロポーズをするが、人を愛することができないと彼女は言う。男はそれでも説得し、結婚を承諾させた。

標準レンズくらいの距離でずっと撮っているのでかなり近い。基本的に全然入ってない。
でも前に書いたドラン的な近さとは違って嫌じゃなかった。とても絵画的な印象を受けて終始ドキドキしていた。
全然入ってないのになにが起こっているのかがものすごく伝わってくる。これはなんとも不思議な体験でした。
死体なんて足しか映ってないのに、しっかりとそれは死んでいる。そうゆう説明しなくても説明できてる写真を僕は撮りたい。

新婚初夜のふたりは浮かれ、はやく二人だけになりたいと足早に自分たちの部屋に帰る。
その時のドミニク・サンダがヒラヒラしててすごくかわいい。この「ヒラヒラ」というのはみた人にしか分からないかもしれない。
部屋に入り、奥の寝室へ向かう様子が細かいカット割りで描かれ、部屋の奥へ奥へと小走りで男を誘う。
それは夢でもみているかのように、異様で怪しく、本当にとてもヒラヒラしていた。

冒頭に彼女が飛び降り自殺をするシーンから始まるのでネタバレにはならないと思いますが、彼女が自殺した所から始まり
なぜそうなったかを死んだ彼女の前で回想する物語。過去と現在をシームレスに行き来する。説明はないけど、これもちゃんと分かる。
ラスト、その飛び降りる前の彼女の心境を、まったくセリフなしで描いているんだけど、これがもうとても素晴らしいです。
映画じゃなくて写真のパラパラ漫画で良いのではというくらい心情がどんどん伝わってくる。

あとこれはどうでも良い話なんだけど、この映画に出てくる人、全員姿勢が良い。不自然なくらいに姿勢が良い。
それはわざとそうしてるっぽかったな。特にバックのエキストラの人とか、すごく異様なほどにこちらに関心がない。
アントニオー二の「BLOW-UP」のライブ会場のあれを思い出してしまった。
日常を描くには非日常感が必要なのかな、と勝手に解釈しています。それほど世間は自分らに関心がないということかな。



ちょっと感動したから予告動画も貼っておきます。
ドミニク・サンダ。かわいいんだけど、たまにビジュアル系のシンガーに見えます。

この映画は素直にもう一回みたい。落ち着いてみて物語とは別の視点で分析、整理しながらみたい。
だけどDVDになってない。ヤキモキするけど、こうゆう映画を上映する早稲田松竹とか他のシアターには頭が下がります。
どんどん映画館に行って、利益を上げてもらいなるべく存続して欲しいと思っています。
じゃなくてもミニシアターはどんどん閉鎖してるしさ。シネコン嫌いの僕にはとても切実なことなのです。

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The End_1388 目黒 / Nikon F3

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博多の夜の夢
本日も「ONERACK」です!
OPEN 11:00 〜 CLOSE 19:00

代々木上原 space8
東京都渋谷区西原3-17-8 dig bldg 3F

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The End_1387 渋谷 / Nikon F3

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ワンラック・バッドラック・マイラック
本日と明日は「ONERACK」です!
OPEN 11:00 〜 CLOSE 19:00

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コロラド・マウンテン・シャツ
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「ジャン・ルノワール / ピクニック」

早稲田松竹の二本立て。ルノワールの息子ジャン・ルノワール監督作品。
1936年に撮影されたが、大戦中ドイツ軍に破棄されていた幻の作品。
ネガを発見し、編集され1946年公開されたものの、リマスター版。
助監督にアンリ・カルティエ=ブレッソン

夏のある日曜日、パリから郊外にピクニックにやってきたデュフール一家とその使用人。新鮮な空気、太陽、草のにおいであふれた短い一日の中にみえる、男女の出会いと別れを、叙情と官能に満ちた絵画のような映像で表現した作品。

40分の短いモノクロ映画。内容は上に書いたとおりで、本当にそれだけ。なにもない。でもなんでもある。そんな映画。
ピクニックにきた家族が、男女で別行動をした時に出会った現地の青年と恋に落ちる。なんにも珍しくない話。
だけど僕の懐かしスイッチはギュンギュン押されて、終始デジャビュ体験が続くような不思議な時間でした。
モノクロ映画だからフランスの川辺の風景が、多摩川とほぼ変わらずみえたのが原因かもしれない。原風景です。

当時のパリの若い芸術家が集まって作ってたということを聞いてたので、そうゆう視点でみるとまた面白いです。
それと、この映像に映っている人は全員もうこの世には居ないんだな。と思うと人生の儚さも感じる。たった80年前のことなのに。
そしてこの物語、意外とエロい。裸とか絡みとかまったくないのになんかエロい。官能的といったほうが近いのかな。
モノクロがそうさせるのか、当時の貴婦人のコルセット的な服装がそうさせるのか、僕の個人的なフェティシズムなのかは分かりません。

物語の中で前半から嵐を予感させていたり(ポプラの木ざわめく!)その嵐と恋を絡めたり。
短い物語の中に、いろいろな映画としての(物語としての?)しかけが詰まっていて楽しい。
ただ、終わりはあっけなさ過ぎて「あ、終わり?」と思った。
それは同じ映画館に居た人の大半がそう思ったに違いない。

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The End_1385 目黒 / Nikon F3

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「ONE RACK vol.3」のお知らせ
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告知ばかりで申し訳ありませんが、今週末、9/26(土)9/27(日)は毎月恒例の「ONERACK vol.3」です。
前回に引き続きの人も、初めましての人も、いつもの人も、久しぶりの人も、珍しい人も!
今回も石人間のアルコール販売と、日曜日は阿佐ヶ谷PUBLICの食事もあるみたいです。本当に美味しいです。
僕は、前回のあまり(笑)とわら半紙写真集とか。それと新しくFIN-Tshを作って持ってこうと思います。

相変わらず僕は両日共にいますのでおしゃべりしに来てください。毎回同じ言葉になってしまい、マンネリ感は否めませんが、、
皆さまに会えるのを楽しみにしております!お時間のある方はぜひお気軽に〜。

9/26(土)9/27(日)OPEN 11:00 〜 CLOSE 19:00
代々木上原 space8
東京都渋谷区西原3-17-8 dig bldg 3F

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「輝く!第2回シルクシルクスクリーンプリント大会」終幕のお知らせ
昨日催された「輝く!第2回シルクシルクスクリーンプリント大会」は無事に終了しました。
前回よりも多くの方が来て頂いて、とても楽しい会になりました。
とりあえず次回開催の予定はありませんが、またどこかでなにかあれば、あれがあれしましょう!

今週末は毎月恒例、代々木上原SPACE 8での「ONERACK vol.3」です。
26(土)/ 27日(日)両日共にずっといますので、ぜひ遊びにきてください。
詳細、ちらし等は近日公開する(はずな)のでまた告知致します。

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The End_1384 渋谷東急工事 / PLAUBEL makina670

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あるいは要領の悪い虐殺
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「アレハンドロ・G・イニャリトゥ / バードマン、あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

劇場でみたかったんだけど、行けなくてDVDを待っていた。
イニャリトゥ監督は僕の中でかなり好きな監督です。最近だと「Biutiful」昔だと「BABEL」「21g」とか
メタフォリカルな表現や、どことなく村上春樹(特にBiutifulが)を感じられて好きです。
現に監督は村上春樹の大ファンだそうだし。でも今回は先のイメージからしてエンタメ感が強いのかな?と思ってた。

かつての名優、ヒーロー映画「バードマン」で主役を演じ、世界的な人気を得た俳優リーガン・トムソンは、現在失意の底にいた。かつての人気は消えていた彼だが復活をかけ、ブロードウェイの舞台に挑むことになる。レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」であり、自らが脚本、演出を手がけていた。彼にとって再起がかかった大切な公演だった。リーガンはそのことでひどく精神的に追い詰められていく。

こ、こ、これはかなり面白かった。先に言うともうDVDを買ってしまった。イニャリトゥ監督のファンということもあるけど、
これから何度もみるだろうと思ったから。事務所でこれ上映会しようと思います。お菓子食べながら皆でみましょう。
エンタメ感が強いのかな、というイメージは心配することなかった。ちゃんと暗示的でイニャリトゥ作品だった。
たぶんレイモンド・カーヴァーの舞台の公演の話だから、そうゆうイメージが先行しちゃったんだと思う。

最初に書くのはやっぱり映像のことになります。2時間の映画、ほぼ一本撮り。または一本撮りのように撮っている。
これはかなり見応えがあって、今のどうゆう風に撮ってるんだろう?とかいちいち気になってしまう。
舞台裏の臨場感がすごく出てて、長回しだからこその仕掛けがいっぱいある。さっき話してた人が奥で走りまわってたりいろいろ気付かされる。
そしてその長回しに音楽がのっかってくる、直接的にも間接的にも。おもろい。すごく。いい。

冒頭からリーガンは苛立っていて、なんでか分からないけど超能力的なものを使える。
ここからすでに現実と幻覚の区別がつかない状況が始まっている。そして精神的に追い詰められていくリーガンがありありと見て取れる。
自分はもう昔の人、忘れ去られてた人間だと追い詰めてるけど、外を歩けばサインや写真を求められるし、人が集まってくる。
自分が思うよりもちゃんと人気があるのだ。まわりがまったく見えていない彼は、内的自己と外的自己のバランスがかなり崩れている。

「バードマン」の声がリーガンの頭に響く。それは「海辺のカフカ」のカラスと呼ばれる少年を思い出さずにはいられない。
リーガンはその声にかなり影響を受けている。それを二重人格と言ってしまえば簡単だけど、多かれ少なかれ誰にでもあることだと思う。
ここまでハッキリと人の声にはならずとも、自分の頭の中に違うもう一人の自分って居ると思う。居るでしょ?僕は居ます。
もちろん公演はリハーサルから本公演まで、いろんなことが起こる。そのたびにリーガンの顔色が変わるのが面白くてしょうがない。

前情報なしでみたから冒頭のカーヴァーの詩は「Biutiful」の時の海辺のカフカみたいに、なにかを暗示する節だと思っていた。
個人的にはそれだけでドキドキしていたけど、物語自体にカーヴァーがこれだけ関わってきてるとは想像してなかった。
「愛について語るときに我々の語ること」の舞台だったのね。その辺も村上春樹フューチャー感があるのは僕だけかな。
そうゆう所も、暗示的な所も、イニャリトゥ作品は良いのです。もっとヒリヒリした感じのみたいけど。撮らないかな、バベルみたいなの。

途中、リーガンと娘のサラが言い合いになるシーンがある。そのサラが父親に投げかける言葉がすごく印象的でした。
以下引用ー「目的は芸術じゃなくて存在のアピールでしょ。ネットの世界では誰もが存在を発信してる、パパが無視する場所よ。そこの流れは速くてパパなんてとっくに消えてるわ。何様のつもりなの?ブログもツイッターもフェイスブックもやらないパパは存在しない。私たちと同じね。無視されるのが怖いのよ、でも相手にされてない。芝居もパパも意味がないの。そこに気づけば?」

ネット上で忘れられるということは、人間の存在すらないものと同じ時代になっている。
もちろんこれは監督の問いかけで答えではない。僕はそんなことはないと思っている人間です。人間の存在がネットに左右されたくないと。
クリストファー・ノーランはスマホ嫌いだから映画の中にスマホが出てこない。
スマホのない時代、みな夢を抱いては空を見上げていた。だが今は小さいスマホの画面を覗き、みな下をむいている。と

僕もスマホを使っている。だけどこの中に物語はあるのかな、と常々思っている。
いつでもどこでも検索できて便利だ。だけどそれで得た知識は自分の糧になっているのか?脳みそにしっかり刻まれているか?と自問している。
なんかスマホだと便利すぎて染みこまず、自分の物にならない気がする。食事の時にスマホで検索する人もいる。その会話は有意義なものか?と思う
知らない事は知ってる人に聞けば良いし、分からなければ帰って調べてそこで得た情報をまた会って話せば良い。そもそも知らないままでも良い。

話はずれてしまいましたが、最近僕が思ってるネット、スマホの嫌なイメージが爆発してしまいました。
そうゆう意味でも投げかけがある良い作品です。って無理矢理な締め方かな。。

キャストについて。エドワード・ノートンは昔からのファンです、そして今回も怪演しています。
裸体をおしげもなくさらしていますが、ファイトクラブの時の様な肉体美は、、みてみてください。それもまた良いんだけどね。
そしてナオミ・ワッツ。マルホランド・ドライブの頃から若さの中にみえる、ちょっと枯れた感じが好きだったんですが、今作もかなり枯れています。
エマ・ストーンという女の子。知らない子だけどすごく良かった、遠目でみるとすごくかわいいです。言い合いのシーンは、みてみてください。

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The End_1383 渋谷 / PLAUBEL makina670

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記憶の上書き保存
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The End_1382 渋谷東急工事 / PLAUBEL makina670

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すこしだけ死んでみる
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「グザヴィエ・ドラン / マイ・マザー」

目黒シネマ、グザヴィエ・ドラン祭りの二本目。
そして僕はこれにてドラン映画コンプリートになります。
出演だけしてる「エレファント・ソング」はみてない。みたい。
前に書いたけど、俳優としてのグザヴィエ・ドランの方が僕は好きかもしれないので。

平凡な町に暮らす17歳の少年ユベールは、二人で暮らしている母親の言動、全てが気に障るようになってしまい悩んでいた。一方母親の方も息子との安定した関係を築くことができず、悩んでいた。ある日彼女はユベールが同姓愛者であることを知ってしまう。

結果からいいますと、僕は一連のドラン映画の中で一番好きだったかもしれない。
「わたしはロランス」と悩むけど、良い勝負です。でもやっぱりロランスかなー。
まあでも比べられるような物語ではないかもしれん。雰囲気はむしろ対極になるかもしれないし。
エキセントリックな映画より、静かな(大きな声でケンカするシーンは多かったけど)映画の方が好きみたいです。

「僕は母を殺した」という原題。グザヴィエ・ドランの自伝的物語。
これを17歳の少年が書いたのかと思うと、こらすごい。「若き天才」とかいわれると、、と書きましたが、これは本当にすごいと思う。
そしてちゃんと映画になっているということがまたすごい。映画は一人では作れないから。いろんな大人の賛同が必要だと思うし。嫌な奴もいる。
処女作がこんなに完成度の高いものになるなんて本当にすごいことだと思う。いろんな障害あったと想像する。障害しかなかったと思う。

ユベールは典型的な思春期のそれとは違う、母親への憎悪がある。
でも原題から想像してしまうかもしれないけど、スリラー的な要素はまったくない。
進路について母親の意見を問われた時に、ユベールは母親を死んだことにする。
それを知った母は「わたしは死んでないわよ!」と教室に押しかけてくるというコミカルな死です。

生活面では母親に依存しておきながら、目の前の母親に否定的感情を抱くユベール。
思春期といわれる時期の、ある程度「自分が何者か」ということに整理が付いてくる時期。
でも、それでも自分の世界をまとめきれず、立ち位置がはっきりせず、狼狽している時期。そのストレスが母親に向いている。
でも母親は母親で思う事はあるのだ。それは僕がこの歳になって分かってきたことかもしれないな。

それでも根本では息子を愛しているし、ユベールも母を愛している。
そうゆう言葉にしない感情、決まっていてどうしようもないこと、そうゆうのを描くのがドラン映画の特徴なのかも。
「僕が明日死んだら?」という投げやりな母への問い。その返答はグサリとくるものがあった。
そしてその返答はもちろんユベールの耳には届かない。そうゆう所が本当にリアルだった。

母親役のアンヌ・ドルヴァル「Mommy」の母親役。この人がすごく良い。彼女が寄宿学校長にキレる場面がある。
ロランスの時のウェイトレスにキレたあれみたいに、みてるこちらが気持ち良いくらいキレる。
ロランスでキレてたスザンヌ・クレマンも教師役で出てた。「胸騒ぎの恋人」に出てたロダンの彫刻似のひどい男も出てた。
監督によって出演者が固まるのは珍しいことじゃないけど、ここまで同じ人たちってのもあまり聞かない。でも全員よい俳優で、好きだ。

グザヴィエ・ドラン。とりえず今のところみれる映画は全部みたので、個人的な感想を。
ずっと書いてきているけどやっぱり「若き、美しき、映画の天才」なんてものが邪魔をする。そして僕のミーハー拒否症も。
だけど物語としては静かな人間の普遍的な感情を表そうとしているし、演出や表現は既存のそれと違いオリジナリティに溢れている。
演出の部分は好き嫌いあると思うし、僕は気になる部分は多かった。それでもこれから新作を撮ればみる監督になりました。
表現という意味で年齢は関係ないけど、やっぱり映画となると色んな障害が多いと思うし、シンプルに事が進まないこともあるだろう。
それでもこの歳でここまで築き上げているということは、これから撮れるもの、撮れることは多くなる。そうゆう意味ですごく期待しちゃう。
次は英語の作品を撮るらしい。それも楽しみにしている自分はもうファンなのかもしれない。
好きな部分も嫌いな部分もこれだけ書けるのはきっとそうゆうことだと思う。とりあえず髪型でも真似してみようかな。

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The End_1381 目黒本町 / PLAUBEL makina670

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「輝く!第2回シルクシルクスクリーンプリント大会」のお知らせ
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↑前回の模様

前回開催されたシルクスクリーン印刷大会ですが、二回目の開催が決定したので告知致します。
09/21(月)連休のまんなかに中目黒LOJABACKALLEYの期間限定りょうくんのお店で開催します。
前回のいでたつひろくんと僕らに加え、今回は公私ともにお世話になっておりますmizuiroのヨウイチくんも参加します。
前回よりも選べる絵柄が増えることになりますので、より楽しい会になると思います。

13:00〜適当に夜まで。例によってデッドストックのTシャツや無地Tは多少あるらしいので、それに印刷してもOKです。
そしてりょうくんのお店は通常営業中です!普通に洋服を見に来て下さい。
前回と同じく、冷やかし大歓迎、見学だけでもOKです。僕は終日居ますのでおしゃべりしに来てください。
写真は僕が撮った前回の模様です。詳細はりょうくんのブログを参照下さい。

それでは、最近よく言う言葉ですが、皆さまに会えるのを楽しみにしております!
お時間のある方はぜひお気軽に〜。

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The End_1380 洗足 / Nikon F3

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ジャクソン・ポロックのコメントについてメールします
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「グザヴィエ・ドラン / Mommy」

目黒シネマのグザヴィエ・ドラン祭り。前回に続いていってきました。
「Mommy」と「マイ・マザー」の二本立て「トム・アット・ザ・ファーム」はDVDでみたので、これにてドランコンプ。
二週間上映の最初の方とゆうことと、僕の場合お決まりの平日初回からの鑑賞ということで
ガラガラの客入りで無事にリラックスしてみれました。やっぱり人混みは嫌だ。

架空の世界のカナダでの話。この国には発達障害児の親が経済的、身体的、精神的に厳しい状況に陥った場合、法的な手続きなく子どもを施設に入院させることができる。という法律があった。ダイアン・デュプレには15歳の息子、スティーヴがいた。普段は純朴なスティーヴだがADHD(多動性障害)という病気を患い情緒不安定な少年だった。ダイアンは掃除婦をしながら、息子のスティーヴと暮らし始める。そして隣人で吃音に悩む求職中の女性、カイラと知り合い三人の穏やかな生活は始まった。

最初に感じるのはなによりも画角。「わたしはロランス」の時のどっしりとした6*7っぽい画角。
「トム・アット・ザ・ファーム」のトムの感情によって変化する縦横比。それも新鮮だったんだけど
この「Mommy」は1:1のスクウェア画角。映画でそれをみるのは初めてだったと思う。他の映画であるのかな。
どうしてもこの画角だと今で言うインスタグラム。昔で言うポラロイドを彷彿する。良い悪いではなく新鮮でした。

ただ、元ハッセルブラッド使いの僕としては、正方形の写真に対して良いイメージはあまりない。正方形の壁って確実にある。
それといわゆる「女の子が好きそうな写真(偏見)」という風に写ってしまう。そして僕はそうゆう写真に苦手意識を持っている。
人やディティール、光とかを撮ってるといちいち決まる。絵になる。でも僕は嫌悪感を抱く。これは「胸騒ぎの恋人」の時と同じ。
これは個人的な趣味の話でしかないけど、僕はもういちいちオシャレな感じが嫌でしょうがないのだと思う。

でもね、これはネタバレになってしまうので曖昧に語りますが「OASIS / Wonderwall」がかかる部分のあの表現は正直想像してなかった。
感動という意味じゃなく、、「お、おぉ〜。。」という感じ。開放感でいっぱいだった。あんなことよく思いつくな。
でもさ、前にも書いたけどそうゆう演出や、1:1画角とかの目新しい表現はすごいと思うけど、僕にとってはオプションでしかないんです。
そうゆう意味では物語にくっついてくる余計なものとして、自分の頭の中で排除する傾向になっちゃう。

といっても挿入歌はとても良いです。一連の彼の映画の挿入歌のセレクトは総じてすごく好きです。
歌詞も字幕で出て、歌詞と物語が繋がっていることもちゃんと説明してるのがストレートで好きです。ベタなものから知らないもの。そして古典まで。
他の映画もそういえば意味深につなげていた。今作だと「Wonderwall」歌詞がああゆう風にリンクするのかと思うし、そうゆうの楽しい。
あと「セリーヌ・ディオン」フランス語の曲の方が良いみたいです。エンドロールの「ラナ・デル・レイ」もすごく良かった。

物語について。スティーヴの不安定な感じは、発達障害のそれとはいえ、僕も通過儀礼としてそうゆう時期を通ったので、理解できる。
スティーヴはシンプルに母親を愛しているし、求めている。ダイアンも息子をとても愛している。お互いが愛しているけどすれ違う。
お互いが恥ずかしげもなく言葉にする「愛してる」という言葉。でもその言葉を越える関係がありながらうまくいかない閉塞感がすごくあった。
持論のドラン映画全員危機感抱いてる説。今作の危機はスティーヴとの生活かな。でもそれを危うくしてるのもスティーヴかな、愛って複雑。

「僕には愛が足りないの?」というスティーヴ「私たちには愛しかないでしょ」というダイアン。
そのストレートさに僕ちょっとだけ泣きそうになった。ちょっとだけね。

僕は男性なので、この歳でもまだマザコンだし、それは死ぬまで続くと思う。ストレートにはださないけど、母性を求める部分は消えない。
そうゆう意味で共感する部分もあり、そして映画として物語として好きな部類に入ってよい映画だと思う。
でも、どうしても「そんなに大した話か?」という気持ちが消えない。「映画の天才、グザヴィエ・ドラン」とか言わない方が良いんじゃない?
彼はもしかしたら俳優として映画に出てる方が良いのではとも少し思う。演技うまいしな。世の中の女性はその方が喜ぶと思う。余計なお世話だけど。

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The End_1379 渋谷 / PLAUBEL makina670

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形容しがたい状況
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The End_1378 渋谷東急工事 / PLAUBEL makina670

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心に降る雨
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「チョコレートドーナツ」

久しぶりに良い映画をみた。という感想に尽きます。
いや良い映画はいっぱいみてる。優しい物語か。
この物語には優しさが溢れていた。同じくらい偏見も溢れていた。
、にしても最近、同姓愛の映画ばっかりみている気がする。。

1970年代のアメリカ。母親が薬物中毒で収監されたために、施設におくられることになったダウン症の少年マルコ。それをみてゲイでショーダンサーのルディは少年をかくまう。ルディの恋人で弁護士のポールと一緒にマルコの親権を取ろうとするが、ゲイのカップルということで、世間と社会、そして法律の偏見に阻まれる。

ちょっとずつ良くなってるんだろうけど、現代だってまだ普通に偏見と差別はあるし、なくなるというのは絶対にないとこだと思う。
そして物語は70年代のアメリカ。今よりももっと偏見の多い時代。そうゆう人にとっては生きるのすら厳しい時代だったのかもしれない。
物語の中で同姓愛の差別だけではなく、黒人差別の表現もちょっとだけあった。公民権法が制定されたのが1964年。
制定されたかといって偏見の目は消えない。ましてや10年なんて、あってないような期間。これは言葉でない人間の根幹的な問題がある。

ルディはゲイのパフォーマー。毎晩バーで女装をして踊っている。そしてとても魅力的な人間だった。
感情に素直で、歌もうまく、間違った事に間違いだと言える強さ、そして女としての弱さまで兼ね備えている。
マルコはダウン症でとても太っている。ルディは行き場がなくなりそうになったマルコを助けよう躍起になる。
それはルディも差別されている人間だから、哀れみの視線で起こした行動か。それとも人間として自然に起きたものだったのか。

あの人は普通なんだ、あの人はちょっと変わってるだけなんだ、あの人は人より不便なことがあるだけだ。
障害もダウン症も、太ってるとか、背が高いとかと同じようなこと。ただ人の手を借りないとできないことがちょっとあるだけ。
それはただの特徴であって、なんら普通の人と変わらない。そもそも普通ってなんなんだ?人間みな平等であるべきでしょう!
、、と心の底から本心で思える人なんているんだろうか。。そこには偽善というものがどうしてもつきまとう。

上でかいたことは僕が思っていることだし、僕の考えです。同姓愛者だろうがダウン症だろうが僕となんにも変わらない。それは本心。
だけどどこかで、そう思わないといけないという気持ちはゼロじゃないし、その時点で僕の心には偏見があるということになる。
ただ不便なだけなのに、可哀想な人という目でみてしまう部分。心の奥のそうゆう気持ちはきっと100%は消せない。
でもルディの行動をみてて、そうゆう気持ちがゼロに近く感じたんだ。自然にマルコに接していた。そこに偽善という印象は全くなかった。

これはもう障害とかどうの話ではなく、人と人の間にある壁の話なのかもしれない。
健常者同士でも壁がある人とない人はいる。合う合わないも。それに人種、言語の壁もある。
それをナチュラルにあたりまえに越えている人がいて、そうゆう人が一番強くて輝いてて、魅力的だということ。
マルコもルディのことが大好きで、彼と接して満面の笑みを浮かべる。僕にはそのクシャクシャの笑顔がとても美しいもの見えた。

これは事実を基にした物語だそうです。劇中でマルコを診察した医師がルディとポールに言う。
「ダウン症の子どもを育てるのは思っているよりも大変です。この子は就職もできなければ大学も卒業することはできない。ずっとこのままです」
僕はその医師が言葉にしなかった、裏の言葉を想像する。
「成長を感じられなく、手もお金もかかる、しかも自分と血の繋がらない子どもに愛情をもって育てることができますか?」と。

自分だったらどうする?どうゆう返答、そして実際の行動に移すことができるか?と自問した、とても良い映画でした。
ラストのことに関してはもう、僕にはコメントができません。ぜひみてみてください。そしてどう思ったか聞かせておくれ。

※障害や差別などのナイーブな事柄について意見を書きました。自分の考えにのっとった言葉ですが、取り方の違い等で不快な思いをされたら深くお詫びを申し上げます。

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The End_1377 渋谷東急工事 / PLAUBEL makina670

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