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床の下の大海原
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The End_1310 新宿 / PLAUBEL makina 670

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サーカス、それは郷愁
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「荒木経惟 / 写真への旅」

ちょいちょいの合間で読んでて、気付いたら終わっちゃってた。面白かった。
初版は1976年のもの。僕が生まれる前のこと。篠山紀信、東松照明、植田正治、いろんな人が出てくる。
全体的に軽い文章ですが写真撮影の心得をまとめたものです。ダジャレ、下ネタ多めです。
ふざけてるのに写真に対する著者の真剣さが伝わってきます。普段の印象に比べて意外と感じるかもしれません。

書き出しより引用ー
昭和49年7月にわたしの母が死んだ。母の死は、私が写真家であることを強く自覚させました。私は現在、再び写真を撮り始めました。ファインダーの中の現実、その「私現実」だけは信じられそうな気がしてきました。という言葉で始まるこの文章は「アサヒカメラ」に「荒木経惟の実践写真教室」として12回連載したものをまとめたもの。日本全国あちこちを気の向くままに「先生」として旅をしました。実は「生徒」は私だったのです。あの旅は、私のための「写真へのひとり旅」だったのです。

イイナー。

肉弾戦ならぬ肉眼戦として、300mmの望遠レンズをニコンFにつけて銀座の交差点を行き交う人の眼を撮る。
でもそれは肉眼戦ではなかった。300mmレンズは相手にハッキリと撮られたと確信させない感じがある。ありゃあー盗み撮りだ。

イイナー。

そして75mmレンズを付けて(もっと直近で撮ることになる)肉眼戦をしていたアラーキー。現代ではとても出来ない。
現代では肖像権だなんやかんやで、街中スナップは難しいとされている。でも本当にそうかしら?
当時からアラーキーは警察沙汰になったり、ポルノ写真撮影として訴えられたりしてる。それでも撮ってた。
今と昔、具合は違えど同じようなものなんじゃないか。それよりもエネルギーがあるのかどうか。初期衝動で突っ走るか。

、、といってもやっぱり僕には無理だ。そう考えると僕の写真は盗み撮りなんだなー。
「撮らせてください」「いいですよ」があれば良い、と書いてあるけど僕にはそれもハードルが高い。エネルギーも初期衝動もない。
ローライフレックス使って正方形の画角が良いとかいってたり、今のアラーキーとは違う所が見れてイイナー。いろいろあって今があるのだ。
自分が生まれる前にも世界が当たり前に存在してて、自分が死んだ後も世界が当たり前に続くことと同じくらいイイナー。

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The End_1309 洗足 / Nikon F3

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あいつ酒もやめたってよ。
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The End_1308 渋谷 / Nikon F3

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あいつ煙草やめたってよ。
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「バック・トゥ・ザ・フーチャー2」

今回マーティが行く未来は2015年の4月。まさにこないだのこと。
1985年(映画の設定年)の人類が想像する30年後には、空中のパイプの中を当たり前に車が浮かんで走っていた。
それはまだ実現されてないけれど、音声で電子機器を操作してたり、薄型テレビ、タブレット型PCとかいい線行ってた。
そんなブレードランナー的な超未来世界なのにFAXは現役で使われてた。そうゆうギャップが好きだ。

物事は収束し無事に1955年から戻って来れたマーティ。予定通り恋人のジェニファーと湖にドライブにいこうとしたとき、ついさっき未来に旅立ったドクが目の前に現れる。ドクはふたりに2015年に来て欲しいと頼んだ「ふたりの子どもに関係していることなんだ!」と言う。ふたりは急に空を飛ぶようになったデロリアンで半ば強制的に未来へと旅立つことになる。

ちょっと空いてしまったけど、続いてシリーズの二作目。シリーズものなのでどうしてもネタバレしてしまいます。
パート1の終わりは未来のドクが出てきて、デロリアンも空を飛び驚かせて終わった。なので続編前提での映画です。
前回はロカビリー全盛の1955年。今度は2015年の未来だ。といっても2015年からまた1955年に戻らないといけない事態に陥る。
これが古典的な流れなんだけど、シンプルにみててハラハラしてしまう。

簡単にいうと、未来で手に入れたスポーツ年鑑には試合結果が全て書いてあった。それを過去に持っていけば懸けに勝って大金持ちに。
というもの。子どもの頃誰もが夢みた「結果知ってるギャンブルに大金つぎ込み大金持ちコース」というあれだ。
しかしタイムマシーン作っておきながら歴史を変えることの恐ろしさを説き、超堅物のドクに止められマーティはその計画を諦める。
だけどそれをみていたある老人が、、ってやっぱり古典。だけどみててドキドキしてしまう自分がいる。

パート1でマーティがあくせくしてた舞台裏で、少しだけ未来のマーティがさらにドタバタ動いていたことになる。
自分の脳内で色んな物事が塗り替えられていく感覚がとても楽しい。こんなに古い映画なのにやっぱり楽しいんだ。
今回のマーティは過去に未来に大忙しでとても目まぐるしいです。そして今回のドクはどことなくもたもたしててイライラする。
いっぱい詰め込んだおもしろさってある。テンション高く、スピード感あって良い。細かいこと考えないで済むし。

悪役ビフとの格闘チェイスみたいなシーンがあります。ビフは車でマーティはスケボー。
併走しながらいろいろマーティに仕掛ける。最後トンネルに入る手前で車を幅寄せをしくるんだけど
マーティはギリギリで回避する。ハリウッド映画だから大丈夫なのだ。しかしこれはかなりの殺人事件臭がする。
未遂といはいえビフにはかなりの殺意を感じます。よくそんな人間を野放しにしておくもんだと。

3部作の2番目って難しい。1の新鮮さもないし、3の完結感もない。だけどタイムトラベルというものがそうゆう退屈さを与えない。
最後まで飽きずに見れました。1の終わりも良かったけど、2の終わりもまた良い。100年前の手紙って。。超古典!笑
ドクはジェニファーに「今の自分と未来の自分が鉢合わせになると。時間的矛盾が生じ、空間がねじ曲がり最悪銀河が消滅する」という。
怖い顔でそんなことい言っだけど、老人ビフは若者ビフとコンタクトし、押し問答までもしてた。銀河が消滅しないで良かったー。

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The End_1307 学芸大学 / Nikon D610

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忘れられた沼
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The End_1306 新宿 / Nikon F3

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マイ・銅像・イン・赤羽
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「そして父になる」

是枝裕和監督作品。カンヌ審査員賞で世間を賑わしてたので存在は知っています。
この監督の作品はあまり知らなくて「誰も知らない」「空気人形」とか存在は知っててもみてない。「奇跡」はくるり効果でみた。
僕の中で行定勲監督となぜかカブるんです。行定勲作品はわりと好きなので、話をしてると不便な時がある。
「そして父になる良かったよ」→「監督だれ?」→「是枝裕和」→僕の脳内では「行定勲」→「良いよねー!」というすれ違い。

野々宮家は大手建設会社に勤めるエリート家族。都心の高級マンションに住み、清潔で上品な家庭。子どもは純粋で行儀が良く、ピアノを習っている。ある日病院から子どもの取り違えの可能性があるという連絡が入る。取り違えの家族は斎木家、群馬県で電気店を自営していた。斎木家は取り違えの子どもを含め3人兄妹、自由奔放に元気に育っている。野々宮家とは極端に違う生活をしている家族だが、戸惑いながらも子ども交換の準備期間に入る。

僕が福山雅治の映画をみるとは、、この映画ネタバレどうこうの映画ではないので壮絶に語ります。気にする人は読まないでください。
「子どもの取り違え」がメイン主題になってるこの作品。昔は、特に戦時中は多かったみたいだけど現代でもあるのかな。
簡単に言っちゃうと、血が繋がっていることが親子か、生活を共にしたことが親子か。の問いかけ。正解、不正解の話ではない。
そして子どもにとっては、そんなことはどっちでも良いことで、大人が勝手に決め勝手に押しつけていることにすぎない。ということ。

野々宮家=福山雅治と、斎木家=リリー・フランキーのコントラストがとてもまぶしいです笑。
子どもに教育として自分の価値観、理想を押しつける父親。片や雑に、適当に、自由に放ったらかしている父親の対比。
野々宮は、自分の中にある理想の父親像を演じ、子どもに押しつける。それが子どもの為になると確信しながら自己満足する。
子どもはそれを純粋に受け止める。そしてできあがった子どもに満足する父親。「どうですかうちの子素晴らしいでしょう!」と。

そこまでして育てた最愛の息子が、実は自分の子ではない。という皮肉。そして本当の血の繋がった子どもは、乱暴で粗野な子どもだった。
物語は進み、子ども交換の準備として、段階的に子どもに生活に馴染ませていた。野々宮の息子はとても上品だったけれど、違う環境にもすぐ慣れる。
そして斎木家で生活するにつれ段々乱暴な子どもになっていること。それ以上に自分に見せなかった屈託のない笑顔をしている子どもの顔。超皮肉。
それを見て今までの野々宮の考えや、囚われていた見えないなにか。子どもに押しつけていたことは、自分のコンプレックスということに気付く。

地味な映画だけど僕は好きでした。そもそも地味で静かな映画が好きなんです。でもちょっと思ったのは。。
野々宮が自己と会話し、反省し、考え、そして段々と父親になっていく様が描かれている。だから斎木家の父親像が大正解のように映る。
斎木家も反省する部分があり野々宮家に近づく部分がある。というイーブンな関係の方が気持ち良かったんじゃないかな。
正解、不正解なくどっちも良いんだけど。という意味の映画だったら。と思った。

世の中に絶対という物はほとんど無いけれど「死」と「生物学的に親子」ということだけは絶対と言い切れるものがある。他にある?
でもその絶対的なものが崩れ、全然知らない子どもを「はいこっちが本当のあなたの子どもです」といわれても「はいそうですか」となる訳がない。
やっぱり気持ちの部分が大きい。もしかしたら遺伝子ではなく生活が人を作るのかもしれない。生みの親より育ての親ってか。
僕に生物学的な子どもはいないけど、お子さんをお持ちの方は僕よりももっと考えさせられると思います。ぜひみてみてください。

看護師の件は必要だったかな。。中途半端なクライム感が出てたかもしれない。
「俺のお母さんだから」という子どもの言葉は少し響いたけど。それも「生物学的に子ども」という意味での皮肉かも。
全編、フィルム的な粒子感溢れる映像はとても好きでした。是枝裕和作品、他のもみてみたい。
でもどこかミーハー感を感じてしまうのは僕だけか「永遠のゼロ」よりはミーハーじゃないか、笑

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The End_1305 羽根木 / Nikon D610

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記憶の海
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http://kenji-nagata.wix.com/theend

The End 1303 THE END

新しくウェブサイトを作りました。前に作ったサイトもあるけど、いかんせん独学のため作風が安定せず
時間が経ってから見ると凡庸なものにしか見えなくて、その度に肩を落とすのも面倒なのでほったらかしにしてました。
それでも撮り続ければ写真は増えていき、良いか悪いかは別にしてそれなりな物量になっていきます。
ある日、自分の中のなにかが飽和し、写真の整理と新しいサイト制作という気持ちに火がつきました。
それは記憶の海にダイブするような、楽しくもあり辛くもある作業でした。
膨大な写真の量ということと、写真を見返すということで考え事が始まったり、その時の思い出が甦って感傷的になったり。作業は捗りません。
勢いだけの昔のものは写真的価値がゼロに近いので思い出とともに封印して、今回はこの4、5年くらいで撮ったものとして絞っています。
ページは wix というお手軽無料ホームページ制作サイトの簡単なものです。ちょっと広告入るのが嫌だけどとりあえずで。
みてくれて感想なんてくれたらとても励みになります。一人で撮ってるとそれなりに浮き沈みあって、テンション維持も必要だったりするんです。
「どことなく寂し気で、あなたらしい写真だね」なんて言葉も頂きました。性格がにじみ出てるのかな。。それはそれで良いことです。
モバイルでも見れますがPC環境での閲覧をオススメいたします。

それでは良い旅を、GOODLUCK。

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トライアル・ウィーク
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「伊坂幸太郎 / 夜の国のクーパー」

初期の作品は好きだったんだけど「砂漠」で引導を渡して以来、手を出してなかった伊坂幸太郎作品。
相変わらずの筆量で、バンバン出版されてるみたいだけど全く読んでなかった。
最近、村上春樹熱が再燃してて普通の小説(普通の小説?)に手が伸びないと書いたけど、やはりずっとカレーは飽きる。
僕のテンションは今、映画よりも活字にシフトしてるので、書店で物色すると彼の作品が大いに売り出している。という訳で久々に。

戦争に負け支配されることになった「夜の国」に占領軍の先発隊がやってきた。8年間に及ぶ長い戦争が終わり、国王が国民の目の前で敵国の兵長に処刑される。絶望する国民だったが、戦争に負けることがどういうことなのかが分からない。そんな時広場に空身の馬がやってきた。無人の馬から何者かが降り立つ音を聞いた国民は、困ったときに現れる伝説の「透明のクーパーの兵士」がやってきたと歓喜する。と、いう光景を眺めていた猫と、たまたま漂着した、妻に浮気され自暴自棄になった「私」こと仙台市役所職員を交えた不思議な物語。

450Pくらいの長編ですが、最初の150Pくらいまで世界の設定説明が延々と続くのでかなり辛かった。投げ出したいとも思った。
でも読み出した小説はどんなに辛くても最後まで読むポリシーと、それなりに引き込まれる感覚もあって、耐えた。
そしてこのままやめたらまた、伊坂幸太郎作品にまた悪いイメージが植え付けられる。。と思って、耐えた。
結果的に中盤からエンジンがかかり、グイグイ来た。そして最後までノンストップまではいかないけど、それなりに読めた。

予想はしていたというか、大体の彼の作品がそうであるように、前半は大いに風呂敷を広げる。
大きな伏線とは別に、後できっとつじつまが合うんだろうと思わせる細かい要素もいっぱいばらまかれる。
その辺いちいち気にしてたら進まないので、素直にだまされようというスタンスで読み進めるのが良いと思います。
猫の視点、国王の視点、敵国の視点、国民の視点、鼠の視点、役所職員の視点。いろんな視点で物事が観察されるので混乱しやすいし。

ネタバレしちゃうと元も子もない物語なので(伊坂作品が往々にしてそうであるように)多くは語りません。
シンプルに一言だけ、、基本的に全部ウソです。これも伊坂作品読む時にはそうゆうつもりで読んでるけど。どうせウソでしょ、って。
それがただのウソということで終わらず、裏の真実があるということ。そして設定、伏線、広げた物全てが最後で全部収束するという快感。
そうゆうのが伊坂作品の人気たる所なんでしょう。この物語も良く計算され、素晴らしく気持ち良く納まっていた。。

読み応えもあるし、前半辛いけど引き込まれるし、緻密に作り込まれてるし、こら売れるわという作品です。それは間違いない。
なんだろ、これは僕が歳をとったせいなのかな、と思ってしまった。いまいち心が動かなかった。だからなに?と冷めた自分は居た。
エンターテインメント小説に興味が薄れているのはあるんだと思います「あー楽しかった」だけでは満足しなくなっているような。
なにも心に残るものが無い、とまではいわないけど一年後内容を覚えているかと問われたら、とても自信がない。

こんなこと書いておいてまったく説得力がないと思いますが、本当に読み物としてはとてもオススメできます。
そして僕は今、続けて伊坂幸太郎の小説を読んでいる。

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The End_1303 洗足 / Nikon F3

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カラッカラの頭
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The End_1302 大原 / Nikon F3

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透明の自分へ
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「NO」

「モーターサイクル・ダイアリーズ」の時からガルシア・ベルナルが好きで、その後のチェ・ゲバラ映画とか全部みてた。
南米のはっきりした顔立ちの中にも繊細さと爬虫類要素が入っている濃い顔。だけどハンサム。かっこいい。
だけど南米の人って、若い頃ハンサムだけど、オッサンになると全員同じに見える。みな同じように太ってくる。日本人も同じか。
昔の映画から時間は経ち、ガルシア・ベルナルもそれなりに歳をとって、少しオッサン感が出てきたけど、それでもやっぱりハンサムだった。

チリでフリーの広告マンとして活動するレネの元に、友人であるウルティアが訪ねてきた。彼は左派の人間で、近く行われる政権の信任を問う国民投票において「NO」を主張する陣営の中心人物だった。投票までの27日間テレビ放送において「YES」派と「NO」派、それぞれに1日15分のPRタイムが与えられた。その責任者としてレネに白羽の矢が立った。出来レースとされる国民投票だったが、レネの広告マン魂に火がともり、彼はプライドをかけて制作に取り組むようになる。

1988年アウグスト・ピノチェト将軍の大統領任期の8年延長の賛否を問う投票。反対派が広告の力を使い賛成派に対決した事実を基にした物語。
広告、宣伝の力がこんなに大きいんだと痛感する映画でした。同じくらい一度動いた大衆の意見ほど強いものはないと思った。
現代の多様化する広告とは違いテレビや新聞、雑誌くらいしかツールがなかった時代。小さなアクションで人の意見はころっと変わる。
戦時中のプロパガンダも当時はかなり効果があったんだと思う。知らないって怖いことだし不安を煽ることこそ人の心に入りやすいことはない。

既存で確立しているものの是非を問うことは思ってる以上にエネルギーを使うみたい。それが国のことになるとなおさら。
「YES」派には安定がある、権力も。「NO」派には野望と未来がある。どちらも良い所と悪い所あるけど、どうしても「NO」派を応援してしまう。
2っの勢力がテレビ放送という舞台しのぎを削る。そこに広告という切り口でレネの手腕が光るんだけど、個人的にとても考えさせられるものでした。
それが真実だろうがどうだろうが関係なく、多くのコンセンサスを取得するために、多くの心を掴むための方法。。とても考えさせられた。

でも最終的にはとてもシンプルなもので「これからの未来をどうゆう風な素晴らしいものにしたいか」ということだけだったように思えたけど。

この作品は2012年のだけど、1988年当時の雰囲気を出すためにビンテージカメラで撮影されたみたいです。
レトロで、輪郭のぼやけた、多重投影のような映像がかなり新鮮です。僕が8歳の頃のテレビってこんなんだったんかな。。
そして出演者のファッションもかなり80年代です。柄物のギュンギュン詰まったセーターにスラックス。ピッチリ横分けサングラス。
チリの物語なのに、どことなく日本の雰囲気も感じてしまう不思議な映像。基本的に地味だけど、どこかとてもリアルな映画でした。

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The End_1301 新宿 / Nikon F3

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関係のないなにか
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The End_1300 新宿 / Nikon F3

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どうでも良い会話
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「永遠の0」

また戦争映画。小説はきっと読まないけど、話題になってたしおもしろいんだろうと想像できたので。
「ヒューリー」の時に書いたけど、戦争映画は苦手なのでテンションが上がってるうちに一気にいかないと、なかなか観ないかとも思って。
結果こちらの映画はグロ表現もなく、とても良い子な戦争映画でした。とても日本っぽい映画だとも思った。
CG表現はすごかったです。とても自然。真珠湾攻撃とか、艦隊爆撃とかすごい実写っぽくて良かった。しいていえばキャスティングが良くない。

現代、佐伯健太郎は祖母の葬式に参列していた。そこで健太郎は祖父と血のつながりがないことを知る。本当の祖父は宮部久蔵で、零戦のパイロットだった。天才的な操縦技術を持ちながらも死を恐れ、劣勢になるといつも戦闘から外れ、安全な空域まで逃げていた。その為、隊で一番の臆病者のレッテルを貼られていた。そんな死を恐れる臆病者の久蔵は、特攻隊に志願し戦死した。そのことを奇妙に思った健太郎は、当時の久蔵を知る人物を巡り、本当の久蔵、本当の祖父の人物像に迫る。

面白かった、とてもシンプルで分かりやすい映画だと思います。そしてやっぱり戦車より戦闘機の方が好きだ。
というより僕はやっぱり戦闘機だけではなく、飛行機が大好きなようだ。どこまでも続く空と雲と海、ロマンを感じないわけがない。
最近、空や雲、夕焼けに感動していない自分にも気付いた。梅雨が明けたら雄大な雲を見にいきたいと思う。
そして零戦の美しさ。アメリカの戦闘機と比べ、小さく緻密で美しい。そして機能面までもバランスが取れたプロダクトだった。

特攻隊に志願した後、ただの川の水に足を入れてるだけで生を実感しこの世界が愛おしい。と彼らはいっていた。
「死に直面しないと、日常のありがたみを感じられない」と。とても淋しい話だけれど、とても美しい話のようにも思う。
死があってこその生。そして僕らは沢山の死の上になりたっている。死について考える事はとても怖いことだけれど
生きるためには死のことを考えないといけないんだと思う。死のことを考えることが生きるということかもしれない。

いろんな意味でバランス良い映画でした。重くもなく軽くもない。でも全然薄っぺらくなくてあっとゆう間に終わった。
内容も、伏線も、ネタバレも、派手ではなくとっても地味なものだけど、それなりに心に響くものもあった。
限りのある命、無駄にせずしっかり生きているか?という教訓もあり、誰かのために生きるとの素晴らしさも語っていた。
僕にそうゆうのあるかな、、ないな。早くしないと死んじゃうから、はやく色々やらないと!という気持ちは学生時代から変わらないけど。

「自分の死が怖いのではなく。自分が死ぬことにより困る人がいるということが怖い。」という言葉が印象に残りました。
ぼちぼち戦争体験者がいなくなるということも考えさせられました。少なからず戦争が風化していくんでしょう。
それこそ銀河鉄道999みたいに、テルメーが「むかしここで大きな戦争があったの、、涙」とボソッと語る日は近い。
やっぱり松本零士の「ザ・コクピット」を再読しようと思う。そして僕の親父は橋爪功にそっくりだということも再認識した。

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The End_1299 新宿 / Nikon F3

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くすぐり地獄の刑
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The End_1298 皇居 / Nikon F3

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伐採の親方の話
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「思い出のマーニー」

どうせいつかみるんだろうし、それなら早くみちゃえと思って。
しかし昨今のジブリアニメは、内容どうこうの前に絵が綺麗すぎです。綺麗すぎて全然良くない。
前ボケ後ろボケ的な被写界深度の表現を、アニメでやる所もまったく好きじゃない。
そこまで写実化するのであればアニメでやる必要があるのだろうか。実写でよかろう。

札幌に住む12歳の少女杏奈は、心に傷を持っており大きな苦しみを抱えながら生きていた。杏奈は一緒に暮らす両親とは血が繋がっておらず「おじさん」「おばさん」と呼んでいた。持病であるぜん息も快方には向かわず、医者の勧めで夏の間だけ海辺の村で療養生活をすることになった。父母の元を離れ親戚に家での生活は気楽なものだったが、心の傷は癒やされなかった。ある日美しい湿地の向こう側に古い洋館を見つける。それをみた杏奈は不思議な既視感を覚えた。それは湿っ地屋敷と呼ばれる、ずっと空き家になっている建物だった。

率直にいいます。冒頭は物語に引き込まれてワクワクする。だけど途中まっったく感情移入しなくなり、内容も暗喩めいてイライラしてくる。
そして物事も断片的過ぎてなんだかわからなくなった。どうせ二重人格とか夢オチとか、妄想が実体化したとかだろと思ってみてた。
廻りのキャラも特に魅力を感じないだけでなく必要性すら感じられなくて、これは回収されない伏線なんだろうと勝手に決めて適当にみてた。
いままでのジブリ作品でワースト1になりそうだな、、と思ってみてた。途中までは。

マーニーが登場するシーンはかなりの心霊現象でした。とても綺麗な背景とあたりさわりない綺麗な会話でごまかされているけど、かなり心霊。
夜中、杏奈が一人で泣いてる湖畔に手こぎボートがある。火のついたろうそくがのっている手こぎボート。。
そんな恐ろしい乗り物で真っ暗な湿地帯を進み、廃墟の洋館に向かう杏奈。そんな恐ろしいことよくできるな。。
そしてその洋館では、金髪で、フリフリドレスの明らかに日本人じゃない女の子が出迎える。ホラー臭しかしない。

その後も杏奈とマーニーが会う場面ではいつのまにかマーニーが現れ、別れはいつも唐突で気絶するかのように訪れる。
そして杏奈は必ず道ばたで倒れている所を発見される。かなり殺人事件臭がする。良く寝落ちもしている。これは夢オチ想像をしても不自然ではない。
なんかわかんないけど「こっち側」と「こっちではない側」を行き来しているということは想像できる。
だけどその方法も理由も分からないし、説明もなくすべてが唐突。中盤から終盤にかけて話はもっと断片的になり、なにがなんだかわからなかった。

だけど最後の急展開で、僕はその感想をひっくり返さないといけない。ジブリの中で一番にはならないけど、上位にくいこむものになってしまった。
これは前半の残念な感じがあった為にそう思うのかも知れない。そう思ったので僕はそのままもう一度最初から見てみた。
急すぎてなんのこっちゃなセリフも、二回目だと心に響くものがあった。そして正直に言うと、僕は少し泣いた。
大して複雑な引っ掛けでもないし、とても丁寧なしかけとは思えないものなんだけど、僕は少し泣いた。たぶんそれは物語どうこうではない。

「淋しい人だったけど、いつもいっしょうけんめい生きていた。幸せになろうと笑顔で前を見ていた。」
という言葉が心を打った。あとはみてみてください。とてもオススメです。

細かい所で不自然に感じる所や、不親切な所、いらなかったシーンとか、いろいろ思う所はある。
いままでのジブリにはない経済面だったり俗世間のキーワードが多かったりもちょっと嫌だった。
なんか腑に落ちない部分は多かったけど、それでももう一回みても良いなと思ってる自分がいます。
そして最終的にこの話は、やっぱり心霊現象ということで僕の中では落ち着きました。

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The End_1297 渋谷 / Nikon F3

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生み落とされる人、旅立つ人
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The End_1297 鶴見 / Nikon D610

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