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アイヌのつきのみちかけ
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「村上春樹 / 羊をめぐる冒険(下)」

えー、結果からいうと、もうラストまで一気に読んでしまって、予想とおり読み終えてポカーンとした。脱力。
上巻の時も書いたけれど本当に読む前と読んだ後では、少しだけ違う人になっているんだ。
良いか悪いかではなく、こんな気持ちにさせる小説家なんて他にいるんだろうか。もしいるなら教えて頂きたい。
「ダンス・ダンス・ダンス」が終わった後も村上春樹を読み直してる気がしてる。窪美澄さんの新刊も読みたいんだが。

「美しい耳を持った女」と札幌に着いた「僕」はいるかホテルに滞在する。札幌市内で聞き込みを開始し、星形の斑紋が付いた羊探しをはじめるが、まったく情報にありつかない。そんなとき、いるかホテルでとある写真を見付ける。オーナーに突き止めたところ、いるかホテルの2階には「羊博士」が住んでいるらしかった。そして僕と美しい耳を持った女は、北海道奥地の牧場に向かい、僕たちの旅は終わる。

結構言っちゃうので、これから読む人は読まないで。
奥地の牧場にむかうその途中の道に「不吉なカーブ」というのがある。
そのカーブはなにかこう、不吉なのだ。なんかわからないけど不吉なのだ。羊でさえ怯えるようなカーブなのだ。
その先に牧場があり、屋敷がある。そこで僕は不思議な体験をする。

この「不吉なカーブ」は海辺のカフカの「森」とおなじ効果っぽいな。
カフカ少年は兵隊さんに連れられて森を進み、その先に不思議な街があった。
それとおなじで異世界との接点に使われたのが「不吉なカーブ」なんだろな。
何も言わずに居なくなる耳の美しい女はひとりで不吉なカーブを歩いたんだろうか。

屋敷で一人になった僕に急な来客者がある、それは羊の格好をした羊男。
その羊男が現れてからはもう怒濤のように物語が動き出す。それはもう、すごかったよ。
村上春樹が描く「暗闇」は文章のくせに意志が強く、ねじ巻き鳥の「井戸」と同じく僕を狂わせた。
そしてラスト。僕が出会った人と、僕がした行動は、もうすごく心に残っている。

本当にこの三部作。読み返してみて良かった。
昔読んだ時よりも好印象だった。喪失感も。

いちおうこの後は「ダンス・ダンス・ダンス」に物語は繋がり、今読んでる所だ。
だけどこの「鼠と僕」シリーズはここで終わってるんだろうなあ。と思う。
「ダンス・ダンス・ダンス」がつまらないという訳ではなく、なんかそう思う。
羊をめぐる冒険の6年後の発表だしな。。しかし面白いけどね、それはまた。

本当に村上春樹漬けになりそうで恐い。
国境の南、太陽の西が読みたい。ナットキングコールと雨の小説だった気がする。

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The End_627 葉山 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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僕らは踊る、闇の中で
すこしブログがあいてしまった。
風邪をぶりかえしてしまって、昨日はお休みにして1日寝てた。
というよりも一日中ベッドの中でFFやってた。楽しかったなー。ぬくぬく。
とりあえず復調したつもりなので、今週も頑張りましょう。



そして月曜日から訃報。Terry Callier が亡くなったそうだ。
代表曲の Ordinary Joe は Nujabes のアレンジで知ってる人も多いかもしれない。
初めて聴いたのは学生時代で、阿佐ヶ谷のフジ暴の家だったな。20歳くらいの時。
切ないのに踊っちゃうメロディが今でも大好きだ。なぜかこの曲を聴くと「雨」のイメージがする。

青春時代に影響を受けた人たちがどんどん亡くなっていく。
こうゆうのはこれから多くなるんだろうな。それが歳をとるとゆうことなのかしら。
生きるとはまわりの人の死を受け止め、悲しみに溺れ、それでも昇華し、強く生き続けると言うこと。
って言ったのは誰だっけ。忘れちゃった。

昨日はすごく久しぶりの人と連絡がとれた。
元気そうでほんとうによかった。ありがとうございます。

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The End_626 二子玉川 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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僕らは金網を越える
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「五十嵐大介 / 海獣の子供」

4巻から最終巻の5巻が出るまで何年かかったんだろう?結構な時間が経った。
なんとなく思い出して、調べてみたら今年の7月に出てた。そして完結してた。
まったく話の流れを覚えていなかったので、この際最初から読み返してみたのだ。
結構分厚い本だけど、それはもうすぐに読めちゃう。

部活でのいざこざで居場所をなくしてしまった少女「琉花」が、何もすることのなくなった夏休みに、夜の海で出会った少年「海」と「空」。彼らはジュゴンに育てられた少年で、海の生物と交感する力を持っていた。彼らが出会った頃、小笠原沖に隕石が落ち、世界の水族館では左官が発光したのち消滅するという減少が多発していた。

1巻から4巻まではやっぱりどうして、すごい世界観と描写力。
海の深さや、怖さ、神秘性が圧倒的な描写で表現されている。それはもう圧巻としか言えない。
物語も海を母親の子宮に例えたり(実際、母親の羊水と海水はすごく似てるらしい)石から新たな海が生まれる神話とか
人魚伝説とか!すごく個人的に興味がある話がいろいろ絡んで来てたので、すごく期待感があった。

でも最終巻はちょっと寓話的すぎというか、いままでの物語が置いてけぼり感があった。それがすごく残念。
絵はやっぱりすごいけど、1・2巻での「圧倒的な海の偉大さ」みたいな表現はあんまりなかったのでそれも残念。
「大切な事は言葉にしない方がいい」とか「言語で考えることは世界を決められた型に押し込むこと」とか
そんな感じのセリフが多かったので、人間の視点や言語では語れない事を絵で完結させたかったんだろうな。

でも物語としては少しモヤモヤ感じが残ってしまった。
人魚伝説といえば、アルフレッド・D・ウォーレス。そして「岩井俊二 / ウォーレスの人魚」
あれに近い雰囲気はこの海獣の子供にもあった。というよりも酷似?
にしてもウォーレスの人魚、ぜひ再読したい。村上春樹スイッチがOFFになったら読んでみよう。

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The End_625 江ノ島 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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名刺サイズのサンドイッチ
文芸部って言葉は聞いたことがあるけど、どんな活動をするのかは知らなかった。
みんなで同じ本を読んで話し合ったりするらしい。そして文豪ゆかりの地を見に行ったりするらしい。
ぼくは高校生の時部活動をしていなかったし、ぼくの高校にそんな部があったのかどうかはわからんが
もしあるんだったら入ってみたかった。そんなおもしろそうな事はない!

でも今の自分だからそう思うのであって、もし文芸部が存在してたとしても当時は興味を持たなかったかな。
僕は今ほど本を読む男子高校生じゃなく、とにかく日が暮れるまで音楽ばかり聴いていた。
若かりし頃に読んだあの本。今読むと当時の青臭い気持ちが蘇る、、的な思いをしてみたい。
もし文芸部に入っていたら。そうゆ思い出が多かったんじゃないかな、と思って。

ま、ないものねだりか。その分音楽で飛んでいる訳だしいいのか。

しかし高校に友達が限りなく少なかった僕は、放課後の思い出とか皆無に等しい。
授業終わったらすぐに帰って、多摩川で空を見てるか、家で音楽聴いてるかくらいしかなかった。
その頃僕の家に音楽聴きにてくれてた人も、今ではOYAとまことくらいしか絡みがない。
いま考えると、もう少し高校時代の思い出が多くても良かったよな。。

なんなんだろう今日のブログ。まったく中身がない。
昨日も書いたけどなんか集中力がもたなくて、すぐボーッとしちゃってなんかおかしい。
仕事もはかどらない。抽象的な表現だけど「なんか持ってかれている」感じだ。完全に村上春樹効果。
今いちばんしたいこと。誰も話しかけてこないバーとかで一人で飲みたい。独り言いいながら。

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The End_624 古市場 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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ゲッテルデメルング
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「村上春樹 / 羊をめぐる冒険(上)」

「僕と鼠シリーズ」の最終章の上巻。「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」とは違い
あきらかに物語性が増してる。というよりも、いわゆる村上春樹の小説ってこうだよな。という印象。
そうそうこんな感じと思い出しながら読んでるうちに、いつのまにか自分自身も変な世界に入っている。
序章からぐいぐい物語に引き込まれていく。ワクワクして、不思議で、退屈で、興奮する物語。

あらすじを説明するのも難しい小説だけど、物語はある女性の死から始まる。
学生時代に出会った、誰とでも寝る女の子の死。そして妻との離婚。
新しいガール・フレンドは出版社で校正のバイトをしながらコール・ガールでもあった。
そして彼女はそれだけではなく「耳専門」のモデルで、とても美しい耳を持っていた。

とまあ女中心の話からスタートです。でも最初っから「僕」は喪失してた。喪失王。
翻訳の仕事だけではなく、広告業界にまで手を伸ばしていた僕らはそれなりに業績を伸ばしていた。
しかしある日事務所に広告界の有力者であり、右翼の大物である「先生」の部下がやってきて、
広告で使った羊の写真を取り下げろと脅迫してくる。その写真は「鼠」が送ってきたものだった。

やんややんやと話は進み、耳の美しい女と一緒に北海道に羊を探しに行く事になる。
上巻は北海道に向かう為に羽田空港に向かう車中のシーンまで。上巻はどこまでも布石でしかないと思う。
物事の本筋ではないにしても、耳の美しい女の「耳の開放」と「耳の閉鎖」の話とか。
鼠の手紙を届けに「街」へ行き、ジェイや女に会ったりとか。もうストーイーラインは抜群なのです。

これ読んでない人にはまったくちんぷんかんぷんな話なんだろうな。
「耳の閉鎖」?そりゃ分からないよな。ぜひ体得して見せてあげたいくらいだ。
読んだ人にだけ分かる。「耳の開放」のしかたも、ナイーブな肉屋のナイーブなハムも。
そうゆう話したいなあ。パリのトーゴくん。来日してください。

「先生」の部下と羊の写真についての話し合いのシーン。「僕」はだいぶ駆け引きめいたセリフをはく。
その時の「僕」はレイモンド・チャンドラーの小説に出てくるフィリップ・マーロウっぽいんだ。
ロング・グッドバイは村上春樹が訳してるし、なんかイメージがあったのかな?
「僕」はあんなにクルクルパーマでは無いけど、タフさでは負けてないし、羊を探す決意もすごい男らしい。

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そのフィリップ・マーロウ役のエリオット・グールド。
こいつ、いつでもどこでもタバコポイ捨てだし、スーツ着て革靴も履いたままベッドで寝るし。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」とか言っちゃうハードボイルド野郎。
松田優作はこの人に影響されたんだか、されてないんだかって話。

、、、現在の僕はもうすでに下巻を読み終えて「ダンス・ダンス・ダンス」に入っている。
下巻のラスト、僕は心をもって行かれた。本当に読む前と読んだ後では、少しだけ違う人になっている。
たぶん「僕」は少しだけ死んだんだ。、、僕はどんどん村上春樹に染められている。
それは10年前の時のように、現実と物語の区別が曖昧になる。僕社会人だからあぶない当時もそうか。

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The End_623 江ノ島 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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どこまでも新しい雪
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The End_622 / 写ルンです

こないだ行った江ノ島で露出計を海に落として紛失した事は書いたけど
実は同じくポッケに入れていた「写ルンです」も海に落としていた。
「写ルンです」は軽いから、海にプカプカ浮いてるところを発見したんだけど
海水に浸っているから現像してもだめだろうなあ。と思っていた。
しかしいざ現像してみたら、なんかアブストラクトで、かっこよくなってた。
落として、良かった。のかな。

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草っぱらのまんなか辺りで
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「贖罪」

湊かなえの「告白」は読んだ。映画もみた。映画はものすごく苦手だった。プロモっぽくて。
それ以来いろいろ出てるのは知ってるんだけど、なんかこの人の作品に手が伸びなかった。
お友達の女の子とこの贖罪の話になって、なんか少し心動く所があったのでみてみた。
WOWWOWでのドラマだったのね。前中後編に分かれてた。

15年前、小学生の足立エミリが校内で殺害される。犯行当時彼女の同級生である4人の少女が犯人を目撃していたが、はっきりと顔を思い出せず事件はそのまま迷宮入りしてしまう。エミリの母親麻子はその4人に犯人を見付けるまで許さないと伝える。15年後大きくなった彼女たち4人は、それぞれが当時の事件を背負い込み生きていた。麻子は彼女らの元を訪ね、贖罪を求めると同時に忌まわしい事件の真相に迫っていく。その過程で発覚していく意外な事実と最後に麻子を待っていた運命は。

少しネタバレしています。これから観る人は読まない方が良いかも。

第一話の蒼井優と、第二話の小池栄子のエピソードは面白かった。ハラハラした。第三話は一番わからなかった。
第四話は物語じゃなく、伊藤歩がやっぱり好きという事と池脇千鶴が意外と好きという事に気付いた。
で最終話になるけど、でもこれ、今まで積み上げてきた目撃者4人の話ってあんまり関係ないじゃんね。
一話と最終話みれば、なんか終わりのような気がしてしまった。

結局の所だれも幸せになってないし、だれも贖罪=罪滅ぼし、できていないという、なんとも気持ち悪い話。
殺されたエミリだけ、本当に本当に虚しい死だったと思う。しかもそのエミリも。。ね。
結局贖罪しなきゃなのは麻子の方でしょ?それに気付いて最後の行動を起こすけど受け入れられない=贖罪できない。
という事よね。最後の麻子のセリフも。。うーん、、。という感じかな。

原作は読んでないからわからないけど、脚本のせいなのか、突っ込みどころは満載でした。
もう少し昔なにがあったかを、画にして説明してたらまた違ってたかもしれないなあ。
最終話の手紙の件も、親友の自殺の件も、もうちょい丁寧な方が良かったかな、いまいち感情移入できなかった。
細かいけど、捜査一課の刑事が証拠品や凶器に素手でベタベタ触るところとかも、いちいち気になっちゃった。

しかししかし黒沢清監督の演出?はすごく良かった。光と影の使い方で「気味悪さ」がすごくでてた。
それは反射だったり、コントラストだったり、影の動きだったり、パトカーの赤色灯までもがとにかく気味が悪かった。
浅野忠信とオダギリジョーの「アカルイミライ」でもくらげがすげえライトアップされてて、キレイだった覚えがある。
この人の撮り方すごいツボでした。。それだけでも観る価値あったと思う。

調べてみたらこの監督「スウィートホーム」の監督なんだ。。
伊丹十三とのいざこざはあったみたいだけど、今では黒沢清のクレジットが記載されている。
1989年当時9歳の僕は姉にこの映画を観させられて、死ぬほど恐かった覚えがある。
おしっこ一人で行けなくなったもん。その監督なんだ。なんかうなずける。。

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The End_621 江ノ島 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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「5月から始まった梅雨」のような自分
こないだの帰り道に大雨になっちゃて、しかも傘を持ってなくてで雨宿りをしていた。
たまにやみそうになるくせに、またざーっと降る。自宅までまだすこし距離があったから困った。
それでも雨が好きな僕は、割り切って世界を洗い流すような大雨を眺めてた。真夜中に。
最近慢性的にやんややんやと忙しくて、そんな意味のない時間は久しぶりだったのかもな。なんかじっと眺めてしまった。

雨を眺めてたら、昔大好きだった人のことを思い出した。海外に住んでいた彼女が一時帰国していた時のこと。
一時帰国だから彼女は携帯を持っていなくて、連絡は取りづらかった。まるで80年代のドラマみたいに。
彼女は一時帰国の理由である友達の結婚式に参加した後、僕の家に来る予定だった。だけどいつまで経っても来なかった。
僕は待っていた。なにかあったのかもしれない不安と、いつまで待てばいいのか終りのみえない不安があった。

そして最終電車近くに彼女は駅に現れた。その時は嬉しかったし、すごく安心した覚えがある。
だけどそのとき僕は心から怒った、本気で怒った。心配かけやがってこのやろう!と。
彼女も不安だったのか、無事に着いて安心したからなのか、ホロホロ泣いてた。
それをみて、やばい怒りすぎた!とオロオロしていた自分を覚えてる。遠い昔の思い出。

、、その子にはもう会わなくなってしまったけど、今でも相変わらずのあの笑顔で元気にしてるといいな。
そして幸せになってくれてればいいなあと思う。なんかあの頃は僕なんかが偉そうにごめんなさい。
雨を眺めながらそんな事を思い出してた。10年くらい前の話。時間は僕の知らない所でしっかりと、暴力的に流れる。
会社辞めて便宜的に事務所構えてすぐくらいの頃かな。なにもかもに一生懸命で夢中で新鮮だった頃の話。

口ぐせのように常々言ってるかもしれないけど、やっぱり雨には時間を飛び越る作用があるみたい。
昔から雨が好きだ。もちろん雨の程度にもよるけど。眺めてると昔の記憶や感触、温度や匂いなんてものまでが蘇る。
僕の中の記憶の墓場に埋もれていた、どうでも良いくせに大切な思い出がちょこんと現れる。
それは心の中で、懐かくて暖かい気持ちと少しだけの後悔を感じさせる。そしてそれは夢みたいにすぐ消えてしまう。

と言うわけで、結局雨は全然やまないから走って帰った。久しぶりにグッショリ!楽しかった。

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The End_620 由比ヶ浜 / Asahi Pentax SP 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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学園祭のおわりに
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「FINAL FANTASY XII」

前々からずっと心の隅で思っていたこと。
去年か一昨年にFFシリーズをやり直してた時期があった。確か零式出る前かな。
んで「FFVII」から初めて順番に「FFX」までやったんだった。結構時間かけて。
で「FFXII」もやるか?と思ったときに躊躇した。

発売当時は学生だったっけかな?僕に勉強をさせてくれなかった覚えがある。
それだけ中毒性があるゲームだった。それを覚えてたので、社会人としてそれはいかん!
という訳でその時再プレイはしなかったんだ。それでも心のどこかに引っかかってて
この度、時は満ちたのだった。もう寝る間を惜しんでやっていた。夜中に、シコシコと。

前回プレイ時も思ったけど、やっぱりストーリーは凡庸。よく分からんのだ。
というかバトルとかモブのシステムが面白すぎてそっちにはまり、ストーリーが中断しちゃう。
まだ序盤の弱い頃からクソ強い適とかにも出会えるから、ボコられつつ逃げ帰ったり。
そして強くなり前に倒せなかった敵を倒せた瞬間は、快感以外のなにものでもないのだ。

そして音楽「FFXII」だけ今までの音楽家じゃないんだっけ?よく知らないけど、
とにかく音楽が良い。壮大で、かっこよくて、単純にテンションがあがる。
いわゆるFFに通じて流れるクリスタルの「あのBGM」もすごくいい!
「FFXII」はあんまり人気ないみたいだが、僕は単純に好き。世界観もすごく好き。

さすがにRPG史上最高値のHPを誇るヤズマット退治まではやらなかった(HP5000万以上!)
最強剣もエクスカリバー止まり。そこまでやり込めないなあ。寝不足には勝てなかった。
、、、「FFXIII」って一瞬思ったけど、結構なクソゲーらしいのでやめた。
次は「Bravely Default」かな、。

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The End_619 三田 / Nikon F3 「tumblr」「THE END」「Trinograph.」「Facebook」「Flickr」
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鯨とイルカの違い
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The End_618 羽田 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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土壁のような味のパン
こないだ、たぶん一ヶ月ぶりくらいの終日オフを利用して江ノ島に行ってきた。
なんで江ノ島かってゆうと、お母さんが行きたいと言ってたので。
最後に行ったのは子どもの時の遠足以来らしいから、なんと50年ぶりみたい。半世紀!
坂道急だったから足腰が弱る前に連れて行けて良かった。義兄の車で連れてってもらっただけだけど!

何年か前に僕は一人で江ノ島に写真を撮りに行ったことがある。
その頃は今以上にセンチメンタルな人間だったので(たぶん)
海が見たくなって由比ヶ浜まで行ったんだよな。それでついでに江ノ島。
今もそうだけど、その頃はとにかく一人でいろんな所に行っていた。

「写真を撮る」という大義があったからこそしてたことなのか
ただ単純にそうゆうテンションだったのかは今となっては分からない。
でも振り返ってみると、その頃撮った写真のネガはすごい量で、今に比べてものすごく多い。
良い写真か悪い写真かはおいといて、とにかく撮ってた時期なんだな。

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話はそれたけど、僕にとっても久しぶりの江ノ島は、すごく楽しかった。
前来たときとまったく変わらないんだけどさ、変わらないから良いのかな。
久しぶりに海(水平線)を見てドキドキするか少し不安だった。ちょっとだけ。
小さい頃はどこまでも続く海を眺めて、世界の広さを感じ、胸を高鳴らせていた。

高鳴りというか、なんか胸が締め付けられてギューンとなる感じ。
今この歳になってもそうなるのかな。と不安だったんだけど、無事ギューンってなった。
世界は広い!僕の悩みなんてハナクソみたいなものさ!と思った。良かった。
お母さんは半世紀ぶりの江ノ島からの海を見てどう思ったんだろう。

田口ランディの言葉じゃないけど、他人が同じ景色を見てどう感じたなんかは絶対伝わらない。
そしてもし言葉にできたとしても、言葉にできた時点でそれは実際の思いとはかけ離れてしまう。
だから特にお母さんには何も聞かなかった。帰り際に「楽しかった?」とだけ聞いたら
笑ってたから、それでよかったんだと思う。。またどっか行きましょ。

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The End_617 江ノ島 / Hasselblad 500CM 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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神経質なサンセベリア
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「村上春樹 / 1973年のピンボール」

「風の歌を聴け」に続く「僕と鼠シリーズ」の第2作目。

前作から3年後「僕」は大学を卒業して友人と小さな翻訳事務所を営んでいた。いつのまにか双子の女の子と共に生活していた僕の家に、ある男が古くなった配電盤を交換しにやってきた。その男は新しい配電盤を付けただけで、古い配電盤を置いて言ってしまう。いっぽう街に残った「鼠」は小説を書きながらジェイズ・バーに通い「女」と出会う。
前作がすごく断片的なシーンの積み重ねだったんだけど、この小説は前に比べ少し物語になっている。

「僕と鼠」のエピソードが順番で語られるんだけど、「僕と鼠」の物語がこの小説では一度も交わらない。
「僕」が双子の女の子と配電盤のお葬式をしてるかたわらで(←この時の貯水池の表現がすごく好きだった)
「鼠」は女と出会い、離れ、そして街を出ることを決心する。。ラストの霊園の林の中は
映画「Biutiful」の冒頭のシーンを思い出したよ。あんなに雪降ってないだろうけど。

ドーナツショップになってしまったジェイズ・バーにかつて置いてあったピンボール台
「スペースシップ」を探す事になる「僕」は紆余曲折あって、ピンボールとの再会を果たす。
その時の情景はもう自分がその場所に居るかのような臨場感だった。喚起力と言うのかな。
冷たさや寒さが伝わってきた。アフターダークでもそんな感覚を覚えたことを思い出した。

「僕」の時間を止めてしまったものについての説明は、最後までとくに語られなかった。
「僕」は僕自身の時間は進められなかった。しかし「僕」の外側の世界では時間が当たり前に流れている。
だから「僕」も時計を進めなければならない気がするんだ。この疎外感や孤独感。すごく共感した。
こうゆうところが青春三部作って言われるゆえんなんだろうな。

所々で気になる「直子」の存在はノルウェイの森を彷彿させたり、井戸の表現(処女作から出てた)は
ねじ巻き鳥クロニクルをどうしてもイメージしてしまう。井戸は村上氏の原風景なのかな。。
以下引用、、、「僕は井戸が好きだ。井戸を見るたびに石を放り込んでみる。小石が深い井戸の水面を打つ音ほど心の安まるものはない」

。。でこの後「羊をめぐる冒険」に入るんだけど、もうこれがもうすごく良くてダメ。
いま心えぐられ中です。はやく読み進めたい。

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The End_616 渋谷 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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自分が10歳の頃の記憶
勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離
■于武陵

コノサカズキヲ 受ケテオクレ
ドウゾナミナミト ツガシテオクレ
ハナニアラシノ タトエモアルサ
サヨナラダケガ 人生ダ
■井伏鱒二

挨拶が終わればさっそく別れが始まる
もしくは別れに向かって進みはじめる
ハロー・グッドバイ。花畑に嵐の例えでもいいよ
さよならだけが人生だ
■ジョニーウォーカー

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The End_615 海 / Nikon F3 「tumblr」「THE END」「Trinograph.」「Facebook」「Flickr」
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ナイーブな肉屋のナイーブなハム
ちょっと村上春樹スイッチが入ってるとはいえ、村上春樹のこと書きすぎだけど、、
昨晩のノーベル文学賞落選のはなし。複雑な心境だと書いたけど、落ちたら落ちたでなんか悔しかった。
本当にないものねだりだけど、まあまた来年も候補にあがるんだろうな。毎年恒例になりそ。
あれ?ノーベル賞って毎年だっけ?ま、いいや。

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「村上春樹 / 風の歌を聴け」

最近はなんか「ちゃんとした物語」と言ったら語弊がありそうだけど
なんつーかエンターテインメント小説を読んでいたと思う。東野圭吾とか米澤穂信とかさ。
そうゆうのに飽きてしまって、心えぐられる小説が読みたくなった。
でお風呂入る前に本棚みてたら村上春樹、、でもコレを読んだら「僕と鼠もの」が始まってしまう。。
と、すこし悩んだけど、始めちゃった。今、心えぐられています。

言わずと知れた村上春樹の処女作。東京の大学に通う「僕」は夏休みに海辺の街に帰省する。友人の「鼠」とジェイズ・バーでビールを飲みながら退屈な日々を過ごす。ある日酔いつぶれた小指のない女の子を助けて、家まで送っていった僕は痴漢と間違えられる。数日後高校時代のクラスメイトから借りっぱなしだったビーチボーイズのLPを買いにいったレコード屋で小指のない女の子と再会する。

単純な感想はすごくすごく懐かしかった。
処女作という事だからかな、今の村上春樹作品よりも格段にセリフがクサイ。
それが嫌いで村上春樹は苦手という人は多いんだけど、僕は平気だな。
僕自身がそうゆうクサいセリフを使う訳では全くなく、、

全てのシーンが断片的すぎて、物語とはあんまり言えないかもしれない。
良く言われるけど村上春樹の小説に共通するものがあるとすれば「喪失感」というのがある思う。
出てくる人はみんな何かしらを失っている。その喪失をランダム感のあるエピソードの積み重ねと
最後の最後のオチで表現してるんだと思う。読み手の方も読み切ったら少なからずなにかを失っている。

その感覚が僕は大好きなのだ。読む前と読んだ後では少しだけ違う人間になっている。
喪失感ランキングで言えば、ねじまき鳥クロニクルが僕の中ではトップだな。
喪失したい人はぜひぜひ読んでみてください。

巻頭に出てくる、デレク・ハートフィールドという架空の作家。
右手にヒトラーの肖像画、左手に傘をさしたままエンパイアステートビルから飛び降り自殺する。
どこにも架空の人物という説明がないので、実際の人物だと思うのが普通だよな。
あれはなんの意味があったんだろう?ノーコメントフジタくんはどう思うんだろ。

次は1973年のピンボール!

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The End_614 羽根木 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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神社のない駅名
僕は朝七時に起きてコーヒーを淹れ、トーストを焼き、仕事にでかけ、外で夕食を取り、二杯か三杯酒を飲み、家に帰って一時間ばかりベッドの中で本を読み、電灯を消して眠った。土曜日と日曜日には仕事をするかわりに朝から何軒か映画館をまわって時間を潰した。そしていつもと同じように一人で夕食を取り、酒を飲み、本を読んで眠った。そんな風にして、ちょうどある種の人々がカレンダーの数字をひとつずつ黒く塗りつぶしていくように、僕は一ヵ月を生きてきた。

羊をめぐる冒険の一節

村上春樹の小説にでてくる、主人公らしき男性はだいたいこうゆうキャラなんだ。
僕はこの文章を読んで、こうゆ生活が心から羨ましいと思うのだ。本当に本当に。
僕はコーヒーを飲まないし、パンもほとんど食べないし、外で夕食もあんまりとらないけど
そうゆうことじゃなく、毎日同じような事の繰り返しでもOKな人なのです。たぶん。

僕はこんな仕事してるから説得力ないかもしれないが、
朝決まった時間に起きて、同じ物を食べ、仕事をして、同じ時間に眠る。
そんな暮らしが出来れば僕は幸せだと思うな。この仕事してたら絶対無理だけど。
でも仕事が落ち着いてるときはこんな感じに似た生活を心がけている。

なら就職して、個人の思いなど発せず、安定の名の下に日々を暮らす道を目指すべきだったんじゃない?
確かにそう思う。だけどそうはならなかった。その事に後悔はしてないつもり。
後悔するくらいなら先を目指した方が良い(そうゆう所だけポジティブな人間なのだ)
だけど、本心の本心ではそうゆう生活を求めてる。という事だ。ない物ねだりかもしれないけど。

、、例えばそうゆう生活が現実のものになったとする。だけど僕は典型的なA型なので
そこまでガチガチに固まると、もしイレギュラーなことが怒ったら、すごくストレスを感じそう。
デートの段取りをいっぱい考えるのはいいが、思い通りにならなかった時にすごく苛つくA型みたいな。
なんかそれも面倒だな。。じゃ今のままでいいのか。

しかし少なくともそうゆう性格で、しかも一人の時間が長すぎるたぼくは
結婚とか、誰かと一緒に生活する事にまったく向いてない人間なんだろうと思う。
そうゆうのから時間が経ちすぎて忘れちゃってるだけかもしれないけど。
結婚してはいけない人間。それが僕。それもいいかな。

もうすぐノーベル文学賞発表!
もし取ったら、僕が村上春樹を読んでると、ミーハーな部類に思われるのかな。。やだな。

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The End_613 四谷三丁目 / Nikon F3 「Trinograph.」「tumblr」「THE END」「Facebook」
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