親父が救急車で運ばれた。
仕事中にケガをした。と母から連絡をもらい仕事を途中で切り上げて病院に向かう。
待合室に通されて待つこと3時間。
詳しい容態を聞けてなかったこともあり、積み重なる時間が僕の不安を煽る。
本を読んで待ってたんだけど、まったく文章が頭に入ってこない。
小学校の教室ほどの待合室にはなぜか僕ひとりで、妙な静けさがあったんだ。
しばらく一人で居ると、看護師さんに車椅子を押されてばあさんがやってきた。
看護師さんは「ちょっと待っててね~」と言い、いなくなってしまい僕と二人きりに。
最初は静かだったけど呼吸が荒くなって、小さい声で「いたい、、いたい、」と苦しみだした。
僕にはなにもできねえしなあ、、と思ったけどだんだんひどくなってるみたいで
腰を丸めてかがんでしまい「いたい、、いたい、、、、、」と言っていた。
さすがに心配になり声を掛け背中をさすってあげてた
そのうち看護師さんがもどって来て、車椅子を押し事務的に奥に消えた。
親父の処置は終わって、顔面に何針縫ったんだろう。聞かなかったけどすごい切り傷。
先生に説明されたけど、僕は血とか傷とかがダメだと何回も言っているじゃないか。
不幸中の幸いで目からもズレてるし、命に別状も後遺症も無いみたい。
結果的には良かったんだけど、その時から僕の廻りにはなにかがまとわりついていた。
仕事に戻りてんやわんやに作業をこなし、なんとか山を越えた夜半過ぎ。
あのばあさんはどうなったかな、と思い出す。生きてるかな、と思う。
親父だって結果的に大丈夫だったけど、状況が分かるまでは今日がいつか来るその日だったかもしれない
ダラッとした日常で分からなくなってしまっていただけで、時間は着々と残酷に進んでいて
もしかしたら今日「はい、おしまいっ!」と言われてたかもしれない。
外は冷たい雨が降り出してて、窓を開けると夜の闇がそっと僕の部屋に入ってきた。
そして僕の廻りにまとわりついていたなにかと一緒になるような感じがした。
幸せとか、救済とか、安心なんてものは、この世のどこにもないじゃないか。と思う。
そう考えると生きる事自体がなんだか虚しくなり、何を目標にしてエネルギーに変えればいいか
そもそも意味なんてなにも無いじゃないか。そんな事を考えながらベッドに入り僕は丸太のように眠った。
そんな悲観的な夜が明けた朝に、友達から男の子が生まれたとの連絡を貰った。
僕が死とかそんな事について考え越えた夜に、彼女は新しい命を世界に産み落とそうとしてた。
朝になってもまだ雨は相変わらず冷たく降っていたけど、昨晩と違いなにか優しい雨だと思った。
生とか死とか、やっぱり整理なんてつかないけど、なんとなく清々しい気持ちになって
「ああ、なんかこうゆうことなんだなあ」となにか自分のなかで納得してしまった。
瞳ちゃん、そちらも雨が降っていますか?
本当におめでとう。元気な子に育つように祈っています。
2011年11月11日生まれ。覚えやすいね。おめでとう。

The End_365 立川 / Hasselblad 500CM
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