
「MUNICH」
1972年のミュンヘンオリンピック。
イスラエル選手宿舎にパレスチナの過激派「黒い九月」ブラックセプテンバーが侵入。
選手を人質にし、イスラエルに捕らわれてる同胞の開放を求めた。
結果的に人質11人全員死亡の惨劇に終わった事件。
その後、イスラエル政府指示のもと水面下で行われた「神の怒り作戦」
その実行部隊の報復作戦を描いた、一部創作してるけどノンフィクション映画。
僕は昔からドイツ、イスラエル、パレスチナの歴史的問題に興味があっていろいろ調べてた。
多分きっかけは手塚治虫の「アドルフに告ぐ」からなんだけど。
その話をしちゃうと第二次世界大戦からなので、長くなるからやめておく。
まだまだ知らない事も多いし、無責任なこと言えない。
僕が思うのは、テロリズムに対し報復という選択肢しかないのか。ということ。
もちろん一言で済まされないし、当事者にしか分からない気持ちは多い。
それは分かってるんだけど、今回のビンラディンと同じような状況だからさ。
そんな時期だからこそ、なんだか考え込んでしまう。
劇中で報復を成功させていく諜報部員。それと同時に仲間も、報復の報復として殺されて行く。
主人公もPLO・ETA・KGB・CIAの影に怯えて、夜もおちおち寝られない。
最後にはイスラエル側も信じられなくなり、アメリカに亡命する。
亡命後、家族とともに幸せな日々を送るが、トラウマは残り、的な。
報復に報復で返しても、また憎悪を生むだけ。
悪循環で根本的な解決にはならない。そう思う。正論だと思う。
だけど目の前で家族を殺されたら、僕も相手を殺したくなるだろう。
「殺せ!殺せ!」とデモに参加するかもしれない。実際に殺すかもしれない。
例えば、肌の色で人を判別してはいけない。あたりまえだ。正論だ。
だけど、娘の結婚相手が黒人で、自分の家族になる。
となるとちょっとご勘弁。な人って普通に居ると思う。
なんだそりゃ、クソ野郎。と思うよ。でももしかしたら自分もそうかもしれない。
僕がそうゆう状況に居ないから、正論を言えるだけなのかもしれない。
なにが言いたいのかってーと、人間はどこまで行っても自分本意な生き物だという事。
もしくは、言葉にしないだけで、自分のまわりさえ良ければ良い。ってゆう事。
どこかの国で何万人が死んだ事故よりも
自分の身近な人間1人の死の方が、どれだけ影響を与えるか。
だからこそ、戦争も、テロリズムも、幼児虐待も、家庭内暴力も、中学生の万引きだって。
自分と遠い所で起こった事、自分に責任が降りかからない事であれば、正論を言える。
報復に報復で返すのは正しくないよね。と、言えるんだろう。僕も言った。
だけど、少しでも想像して知ろうとする事。知らんぷりではなく。
他人のそれが、ちょっとでも自分の事のように想像できれば
きっと世界は変わると思う。これは綺麗事でも、言い過ぎな事でもなく。
そのなんだかわからないものを信じて、僕はもっと勉強して価値観を広げて行きたい。
その時に少しでも、リアルな想像できるように。少しでも身近な事と思えるように。
たとえその先に「自分はなにも出来ない」という絶望があっても。そう居たい。
今回の地震だって同じだよ。
映画とはまったく関係の無い話になってしまったが。
シンドラーのリストで、イスラエルよりだ。と言われたスピルバーグ。
今作はイスラエル側でも、パレスチナ側でも無い。
とメイキングで語っていたけど、こうゆうナーバスな題材を
映画化しようとすることだけで凄い事だと思う。
山谷問題じゃないが、表現の自由が尊重されますように。

余談だけど、ローマ・パリ・ベイルート・キプロス・アテネなど
美しい町並みは必見かも。すごく綺麗に描かれてる。行きたくなる。
今日は文字ばかり。乱筆御免。
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